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今日、また新しい言葉に出合いました。

DSD(Disorders of Sex DevelopmentまたはDifference of Sex Developmentの略)という言葉です。

日本語に直訳すると「体の性の様々な発達」という意味で、日本語では「性分化疾患」とも呼ばれています。LGBTは知っていましたが、それらとは違うDSDという分類です。
「性はだれが決めるのか」という事で話をしていたのですが、それは「自分が決めるもの」という事で皆さん同じ考えでした。
生れた時は自分で決められないので、身体的にはお医者さんに男の子か女の子か言われた通りなのかも知れません。しかし、大きくなるにつれて自分が自分に違和感を感じ始めた時は、社会的には自分が決めれば良いという事になりました。
そこで問題になったのは、いくら自分で決めても、おトイレや公衆浴場、小中学生ならプール、就職活動など、日常生活の中で社会的にまだ理解が得られてないので、生きにくい場面がある事です。
私自身は女子学校で育ったので、女の子らしくと言われる中で育ったにもかかわらず「人間らしく」という感覚でいたので、あまり男性、女性、と区別をして意識した事はありませんでした。勿論それぞれの特性はあると思います。その特性はそれはそれで活かせばよいのであって、自分とは違う性を認めれば済むことです。
最近ではおトイレも男性用・女性用以外に多目的トイレと言うのが出て来ているので、多目的トイレを使いたい人は、どちらであっても使えば良いのではないかと思います。
自分以外、相手を認めないから、男なのにとか、女なのにとかの見方をしてしまうのであって、それを「人間なのに」に置き換えた時、どんな問題がでてくるのでしょうか?
職業にしても、以前なら看護婦さん保母さんは女性と決まっていました。しかし、看護師さんになってからは男性も増えつつあります。特に体の大きな患者さんを移動させたりする時には、男性の方が必要とされます。保母さんにしても、エプロンをかけた男性の保育士さんが子どもの世話をしていても、特段に違和感を感じる事はありません。
そう言う人達が生きにくい世の中にしているのが、世間の価値観であり、その世間の価値観とやらは、得体の知れない責任能力の無い価値観です。
そして人口分の1が自分の価値観として入っています。
生きにくい世の中だからと感じている人は多いと思いますが、それらの価値観を作っているのも自分達です。
令和になって1ヵ月。あちこちでの天皇のお言葉を聞いても、価値観が変わりつつあることは非常に感じます。世の中の価値観を作ってい

る中の1人は自分であるという事も忘れないでいたいと思います。嫌だと思えば、自分から変えて行っても良いのだと

思います。

むしろ、自分から変えていく必要があるのではないかと感じた次第です。

じゃ、また!

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jibunoikiru@gmail.com

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