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「隠れ重言」 今日初めて知った言葉です。
重言は「顔を洗顔する」「頭痛が痛い」「馬から落馬する」など、意味が重複している表現の事です。
重言は、冗長になる為、避ける人が多いようです。
これらは知っていたので、私もあまり使わない様にしていました
知らなかったのが「隠れ重言」。
「隠れ重言」とは、文の中では重複がないが、その文章などの前後の関係を踏まえると、当たり前の事で冗長なものを指します。
皆が当たり前だと思っている事、誰が考えても、その前提は当たり前だろうと思う事。
「隠れ重言」が恐ろしいのは、当たり前の事なので誰も否定のしようが無いという事です。
よって、誰からも否定されない為に、考えるのが浅い人は、それを結論として思考を停止することが出来るのです。
そして、当たり前の「隠れ重言」をもっともらしく言う人は「思考停止」に見られてしまうのです。
私の文章はまさしくこれに該当していると思います。
当たり前の事をさも自分の考えであるかのように書き、それで結論としてしまっている。
これでは、わかっている人には全く面白くない内容です。
それを改善するには、やはり自分の考えを述べる事です。
まだまだ自分の考えを述べるなんて・・・。と思っていたら、「隠れ重言」で結論を出した気になり、思考停止のままです。
結論を出した気にならず、自分の言葉で自分の考えを出すのが、人に読んで頂くレベルだと思います。
「隠れ重言」のうちは、勘違いした自己満足の状態です。
全くと言ってよい程、自分の思考ではありません。例えそれが自分と同じ考えであったとしても。
説明の結論を書くのではなく、そこには自分なりの「どうすれば」という考えを書く必要があると思います。
思考の浅さはあるにしても、当たり前の事ではなく「どうすれば」という次の段階の自分の考えを書かなければ、自分のレベル自分の思考停止を露呈するだけです。
今日、この言葉と出合わなければ、来年もずっと思考停止の「隠れ重言」のままでいたと思います。
今年も後2ヵ月半。
何とか「隠れ重言」を脱皮したいと思います。
じゃ、また!