人は何かを失うと云う事に対して、恐れと不安を感じます。
もしも、お金が無くなったら。
もしも、社員がなくなったら。
もしも、家族がいなくなったら。
もしも、命がなくなったら。
まだ失ってもいないのに、自分が勝手に想像してそれを失った時の
怖れを増幅していきます。
もしも、本当に無くなってしまったら、自分も無くなるのでしょうか。
決して自分という人間は無くなりません。
生きている限り、自分は無くならないと思います。
自分に対する自信の無さが、不安を煽るのだと思います。
自分を信頼できないことが、不安を煽るのだと思います。
本当は自分が「失ったら大変だ」と思っていることは、
自分が勝手にそう思っているだけで、失っても大丈夫なのです。
なぜなら、そこにしがみついていた自分の囚われが解放されて、
無くなるだけなのですから。
しがみついていた幻想が解放されれば、そこには新たな力が生まれるだけです。
実際に失ってしまっても、そこには生きる為の行動が必ず必要になって来るし、
行動せざるをえなくなるから、新たなチカラが生まれ始めるのです。
もしかしたら、今までと違う方法、違う行動を取るかも知れません。
もしかしたら、今までと違う価値観になるかも知れません。
もしかしたら、0から新しいものを積み上げていく自信を付けるかも知れません。
赤ちゃんは生まれた時は何も身に付けていません。
時間と共に良い情報、悪い情報を身に付けて大きくなります。
その身に付いたものが、自分の拠り所となるものだと信じてすがり付きますが、
今、すがり付いているものが絶対的なものだとは限りません。
ただ、今までと違う世界を知らないから、そう思うのかも知れません。
もしかしたら、新たな世界は自分に合っているかも知れません。
第一歩を踏み出す勇気が、自分を信じるということでもあるし、
自分で自分をコントロール出来る状態であると思います。
どんなに今までの人と縁を切ろうが、疎遠になろうが、
自分というものを持っていれば、明るい未来しかありません。
自分というものを持っていれば、自分自身は無くならないのです。
まだ見ぬ未来に対して不安や恐怖はあるかも知れません。
しかし、それを不安として想像するのか、明るい未来として想像するのか。
まだ失ってもいないのに、無くなるという不安を想像したのであれば、
まだ見ぬ新たな世界も想像できるはずです。
失う不安を想像したのであれば、
あらたな未来が待っているのも想像できるはずです。
どちらも想像できる自分自身は、決して消えてはおらず、
今、ここにあるのだと思います。
自分を信じて、誰もいなくても自分は出来るのだと自信を持てば、
すべてを失ったとしても、すべてが無くなったとしても、
そこには新たな世界が拡がり、
新たな目標が着実に積み上がって行くのだと思います。
じゃ、また明日!