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私は国語力が非常に低く、相手によっては意思疎通が出来ない時もあります。

この年齢になって、国語ってそんなに難しいものだったのかと思います。 
確かに、算数の問題自体が理解出来ないことが多々ありました。
この問題、何を聞いているのだろう? 何を答えればいいのだろう? と。
私が国語を好きだったのは、文章の中に書かれていない、登場人物の心情を察したり、その中の人間関係を言い当てたりするのが好きでした。
しかし、それって答えが無いのです。
なぜならその解釈は十人十色で、全く一緒という算数のような答えではないからです。
そもそも、国語と算数は全く別の世界のものと思っていました。
算数は誰が解いても、答えが一緒になる正解のはっきりしたもの。
国語は解く人によって、解釈や感じ方で答えが違ってくるもの。
よって、算数は論理的思考、国語は感覚的思考だと決めつけていました。
しかし最近、感覚的に捉えたとしても、そこには論理的思考が必要なのだと思い始めました。
相手の事をしっかり聞く。自分の考えを纏める。その為には、自分の考えの根拠をはっきりさす。
相手に伝える為には話す内容を組み立てる。組み立てる為には根拠・主張・論拠を纏める。その他諸々。
これらを含めて国語とは、相手の思考や言動を正しく理解し、自分の考えを相手に正しく理解して貰うコミュニケーションツールではないかと、思いました。
小説や文章を読んで、主人公の気持ちはこうだった。とか、この文章はこういう事が言いたいのだろう。と、自分だけの感覚で捉えていたことは正しく捉えられていなかったと思います。
なぜなら、それらは全て自分感覚の捉え方だったからです。
自分の知っている範囲、自分の興味ある部分、自分が理解出来る部分のみ。
これらは一方通行で相手に通じるとは限らないのです。
私は、国語はコミュニケーションツールであり、その思考の深さによって会話の質が変わったり、相手の理解度が違ってくるものだと思います。
よって、今までどれだけ上辺の理解しか出来ていなかったのかと、算数の問題そのものの問われている事がわからなかった自分に納得した次第です。
じゃ、また!


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jibunoikiru@gmail.com

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