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スピリチュアルや瞑想などで聞かれるのが「今ここ」という言葉です。
私は過去や未来に囚われることなく「今現在を精一杯生きるのだ!」
位にしか思っていませんでした。
心理学のアドラーも、人がしあわせになるポイントの1つとして、
「今ここを生きる」と書かれています。
アドラーは「現実的」と言った意味で「地に足が着いている」と言っています。
私は28歳の時に「地に足が着いていない自分」に戸惑っていました。
まだまだ子どもで、確固たる主体性を持たず地に足が着いていない自分は、
まるで浮き草だと1年間思っていました。
その結果、浮き草の自分でも構わないと思えたら、今のままで良いんだ、
今のままの自分で生きるしかないと、根拠のない自信が出てきました。
「今ここに生きる」には過去に支配される事ではないと思います。
幸いにも、私は記憶力が悪いので、過去の嫌な事は何1つ覚えていませんでした。
クラスに嫌な子がいても、その子はそうするしかないんだと、やたら悟ったような
感じで受け止め、それを嫌な事とは思っていませんでした。
変えられない過去は引きずるよりも、手放した方が早いです。
私はまだ来ぬ未来に不安を覚えていましたが、
明日のことを想い煩うことも不要です。
いくら思い煩っても未来はどうなるかわかりません。
となると、今日という日を精一杯生きるしかないのです。
今日という日を精一杯生きると云うことは、自分の為だけに生きるよりも
他者に貢献した方がしあわせを感じると思います。
人は自分1人で生きているようですが、決して自分1人で生きているわけでは
ありません。
何処かで誰かと繋がって、助けを得て生きているのです。
だったら、自分も誰かに対して何かを与えて生きるのが、周り回って
自分のしあわせに繋がるのだと思います。
ビジネスの世界では人の価値を生産性で測る場合もあるかも知れませんが、
生産性でその人の価値が決まる訳でもありません。
生産性が無くても、生きているだけで人には価値があると思います。
その生きているだけでも価値のあることを、
人は時として追い詰めて残酷にもその命を奪ってしまうのです。
ここまで書いてふと気が付きました。
若い時から「自分のいつの時代に戻りたい?」と聞かれたら、
いつも「今日がいい!」と、答えていました。
そして、今現在も同じ質問をされたとしても「今日がいい!」と、
答えると思います。
人からも「珍しい」とか「変わっている」と言われていましたが、
事実、そう感じるからそうなのです。
今、この文章を書いて気が付きました。
「今ここ」って、今この瞬間が自分にとって満足のいく時間であるなら、
自分は「今ここ」に生きているということなのかも、と。
そして、明日になれば「昨日より、今日がいい!」と、答えていると思います。
この世から去る瞬間まで「今がいい」と思えたら、
私は最高の人生を送ったことになるのだと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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