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私たちは人の目を気にして生きていることが多いです。
私もそうでしたが「こうすれば人はどのように思うのだろう」とか、
「こんな風に言われるのではないか」とか。
結局は自分の言いたいことも言わず、やりたいこともやらずに、
たった1回の人生を終わっていました。
最近少しわかってきたのが、人の目を気にする時というのは、
自分の生き方が決まっていない時に、陥ることなのだと思います。
「自分は誰のために、何のために、なぜ生きているのか」
この問に対する自分の答えが明確ではないから、
「人からどう思われるか」と、人の目を気にしてしまうのです。
自分の目的に生きている人は、何処を目指して何を成し遂げるかが
解っているので、外野の事は全く気にすることなく、
自分の目的を納得して生きていけるのだと思います。
ある人が言われていましたが、
「人の目は気にしていないけど、自分の目は気にする。
自分で自分を見た時、誇れる自分でいたい」
という言葉です。
自分の目的が明確に定まっているから、こういう言葉が自然と出てくるのだと思います。
この感覚はお金の報酬よりも、人の喜びや、その人がより良い人生になることの
報酬の方が嬉しい。という気持ちになられるようです。
自分の使命や、生きる喜び、世の中の役に立っているという喜び。
これらを感じることができるから、人の目は気にならないのだと思います。
人が何を言おうが、どうしようが、その人はその人自分は自分で、
人それぞれ生きる道、生きたい道は違うので、人のことなど
構っている時間が無いと思います。
自分を生きている人達は、個々人に自分を認めて貰いたいとか、
どうすれば自分のファンになって貰えるか、という事よりも、
「理想の教育はどういうことなのか」とか「会社運営はどういうものか」
とか言ったような、自分の目指すものに対する理解を求めているようです。
確かに、自分が人に目が向いている時は、自分のことは棚に上げています。
自分のことは何もしていない時です。
しかし、自分のやりたい事、やるべきことに気が付いた人は、
人に目を向ける暇など無く、自分で自分のことを気にします。
それは自分が決めたこと、自分が目指していることを守っているかどうか。
自分が自分に嘘をついていないかどうか。
守るべきことを守り、やるべきことをやているかどうか。
全て人の目ではなく、自分の目を気にするのです。
だから筋の通ったことを貫き通せるのだと思います。
自分の意志を貫き通すというのは、並大抵のことではないと思います。
それを貫き通す人生は、誰も何も言えず、
しあわせな人生を送っているのだと思います。
そういう人生が送れるよう
「一生青春、一生チャレンジ」したいと思います。
じゃ、また明日!