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私は昔から、お稽古事でも何でも「出来なければ、出来るまでやるだけの事」
と、思っていました。
確かにその時は先生が教えて下さることを見て、それに近づけるよう練習すれば、
それなりのことができるようになっていました。
そしてそれは、目に見えるものを或いは聞こえる音を真似れば、
師に近づいて行けるということでした。
しかし、自分の人生に於いて、なりたい自分になる時「なれるまでやるだけの事」
と、思ってもその見本が無いので、戸惑ってしまいます。
実はその見本は自分自身が明確に描く目的です。
その目的が弱かったり、意味付けが薄かったりするから目標が明確にならないのだと
思います。
今、以前の自分が「出来なければ、出来るまでやるだけの事」と、言っていたのを
思い出しました。
あの時は出来ない理由や状況が何も見えていなかったから「できるまでやれた」
のだと思います。
挑戦を経験値に変えていけたのだと思います。
そして、その経験値が積み重なって、成功に変換されたのだと思います。
現実の状況を観ていると、出来ない理由ばかりが目に付き、出来る理由を
覆い隠しているようでした。
生きるということは、この挑戦を止めない限り経験値として
変換されて行くのだと思います。
乗り越えなければならない壁があって当然。
なぜなら、それが大切な経験値に変換されるのですから。
1.4px; text-align: justify;”>生き方の見本になる人を探し、その人だったらこの問題はどのように解決するだろう
と、その人になり切って真似ていくのも必要です。
もしもその人がいつもの自分と違う判断をした場合、その時が今までの自分の殻を
破る時だと思います。
自分の頭の中にあるものがなかなか言語化されないのは、
見えないものを真似しようとするからだと思います。
習い事や趣味でやっているものは、具体的で目に見えやすいです。
しかし、生きざまなど目に見えないものは、言語化しにくいので、
真似もしにくいのだと思います。
目に見えないものを言語化出来たら、それはほぼ出来たに等しいと思います。
「言語化する」というのも1つの挑戦なら、この挑戦を経験値として
どんどん溜めていけば良いと思います。
今日、ご夫婦で本の買い取りをされていた方が段々と古美術の買い取りも
するようになり、家に取りに来て下さいました。
来られる前は品数も少なかったので10分もかからないだろうと思っていたのが、
お話上手で面白いご主人の話が次から次に出て来て、結局2時間お話していました。
その方はサラリーマン経験はほんの少しで、あとは自営業。
奥様も元幼稚園の先生だから、お話も好きなようでした。
次から次へと飛び出してくる話題に、私の知っている人と食事をしていたり、
私が好きな作家さんを同じく好きであったり。
広告は一切せず、私が知ったその地域雑誌のみです。
にも拘らずお客さまがお客さまを紹介して下さり、古本屋を開く時間が無いとか。
e: 14px; letter-spacing: 1.4px; text-align: justify;”>結局、人は商品よりも売り手が気に入って買ってしまうのだと思います。このご夫婦も喧嘩もやりながら、色々な事に挑戦をして経験値を上げていって
いるから、聞く耳を持っているし、ご自身の考えを言語化できる方なのだと
思いました。
じゃ、また明日!