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「待つ」というのは、たやすいようで時には難しいものだと思います。
特に子育ての時など、朝、時間が無い中で世話をするので、ついつい
「早くしなさい」とか、子どもが自分でやろうとしているのに、
横から時間が無いからと親が手を出してしまいます。
この時、我慢して待ってあげれば、子どもは自分で出来た喜びと自信が付くのですが、
親がやってしまうと子供の喜びと自信の芽を摘んでしまうことになります。
そしてそれと引き換えに「やってもらうのが当たり前」の芽を植え付けるように
なってしまいます。
「待つ」というのは子どもに限らず、大人に対しても同じだと思います。
「待つ」というのは、「信じる」ということにも通じます。
信じているから待つことができるのだと思います。
条件付きで信じるというのは、信じているとは言えません。
苦しくて悲しい時に、何も聞かずに信じてくれる人は、
無条件で自分を受け入れ、信じてくれる人だと思います。
人は言葉によって繋がれると思うのですが、
その言葉は表面的な意味やイメージで繋がっているとは限りません。
言葉の奥にある体験や感覚によって、繋がるものだと思います。
表面的な言葉だけで判断すると、歪んだ繋がり方になってしまう恐れがあります。
時には表面的な言葉で伝えてくるかも知れませんが、
本当は真逆の意味が隠されていることもあります。
その時、その瞬間だけの言葉で判断するのではなく、
その言葉を通じて何を伝えようとしていたのか。
そこも読み取る必要があると思います。
相手が信じている人であれば、読み取ろうとします。
反対に信じていない人であれば、表面だけで受け取ります。
人との繋がりに於いて、何かの条件付けで繋がる・繋がらないというのは
成立しないと思います。
自分と相手との関係がどの位の「信頼」で繋がっているのかによると思います。
例えば戦争に行った場合、誰か恋人や家族など待っている人がいる場合は、
何としてでも生きて帰ろうとします。
反対に待っている人がいない場合は、追い詰められた時「諦め」という文字が
頭をかすめる場合もあると思います。
待つ側にしても「絶対に帰って来る」と信じて、待ち続けられる人と、
「もしかしたら」と諦めて待てなくなる人もでてくると思います。
震災後にしても、
「家族が待ってくれているから」と、バラバラになっても頑張れる人と、
帰って来るまで待てる人と。
「お客様が待っていてくれてるから」と、お店の再建に前向きになれる人と、
再建できるまで待てる人と。
「無条件で待っていてくれる人」という事は、
待っていてくれる = 信じてくれている = 愛していてくれている
と、いうことになるのではないでしょうか。
無条件に「待てる人」は、無条件に「愛せる人」だと思います。
じゃ、また明日!