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今日も入ってくる情報がシンクロしていました。
私が現在のフィットネスジムに入会した時、お世話になったトレーナーさんが
独立されてスモールジムをオープンされました。
スタジオのみならず、パーソナルトレーニングも受けていたので、
現在のカラダの動かし方は、このトレーナーさんから教わったようなものです。
このスモールジムは「ハチドリの精神に共感した方」がそれぞれ一緒にやるので、
個々人が独立していても「自分さえ良ければ」という小欲の人は合わないようです。
「自分」という存在の意味は「独自であり部分である」という考え方です。
「独自」と「部分」の両者が調和するところに人間社会の「真善美」があると、
スモールジムの会長さんは言われています。
いつも届く別のメルマガでは、
自らの出来ることをギフトしたときに、集合知の可能性は飛躍的に広がっていく。
「あなたは何のために生きるのか」
「あなたは何のために働くのか」
この問いに対する1つの答えが、集合知の創造にあるのかも知れない。
と。
悟りに近づけば近づくほど、自分という意識は小さくなり、
本当の私を理解してほしいという望みが消えていく。
自分とか他人とか、そうした意識から執着や憎しみが生まれてくる。
と。
そして先ほど終わったヴェーダ瞑想では、
私と私以外の人は違うけれど同じである。
それぞれの隔たりがなくなって全ては自分事になり、
自分と他人の隔たりがなくなってくる。
すべては自分であり、全ては統合できる。
と。
全く違う分野の方が、それぞれ違う書き方で同じような事を言われている。
そして私自身、この感覚がほんの少しわかりかけてきたような時なので、
この偶然を楽しませてもらったような気がします。
人間は本来「小我」ではなく「大我」として生まれてきているのだと思います。
それが、モノやお金や生活などで、いつの間にか自分の価値観が変化し、
「小我」になって、自分の中の「大我」を忘れてしまっているのだと思います。
そして、色々な体験や感じることの中で気付きがあり、
自分の中の「大我」を思い出すのかもしれません。
「すべては私であり、私はすべてである」
もっともっと理解していきたいものです。
じゃ、また明日!