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「共に」というと、「共にいる」とか、「共に戦う」とか、「共に生きる」とか、
いつも一緒に居て、同じ経験をし、同じ「場面にいる」ことのように思います。
目に見える、身体的な相手といつもいるという感覚。
子育て中も、親が子どもの傍にいつもいて、小さい時は手を出して助けていたけれど、
少し大きくなると、手を出さずに「見守って」いる。
それも「共にいる」という事なのだと思います。
これとよく似ているパターンで、いつも一緒に居る訳ではないけれど、
ふと、相手の心を感じたり、魂を感じたり。
直ぐ近くにいて「見守っている」のではないけれど、
いつも相手を感じていて、遠くから「見守っている」。
そんな場合は、「共にいる」というよりも「共にある」という感じでしょうか。
都会の大学に行った子ども、単身赴任の夫に対しては、
離れてはいるけれど、心の眼は決して離さないで「見守っている」
目の前の身体としての相手とは離れているけれども、
心の相手としては「共にある」。
自分自身の「在り方」と同じように、
いつも心の中で一緒にいる「共にある」あり方。
こういう在り方もあるのかなと思ってしまいます。
例えば宇宙から地球を見た場合、地球は無数の星たちの中の1つに過ぎません。
それぞれの星が進化・発展を遂げています。
しかし、自分がやって来た進歩には責任が伴っています。
そんな中で地球は地球の資源をないがしろにし、戦争さえもまだ続いています。
他の惑星から見たら、地球は何をしているのかと思われているかも知れません。
にも拘わらず人間が住んでいるのは地球だけで、
月や火星を人間の住処にしようとさえ思っています。
そうではなく、他の惑星を認め尊重し合って、
共に銀河系の中で生きるというのも、大切ではないかと思います。
互いに学びあい、理解を深めることで、銀河系の中で地球というものの未来を
より豊かに創造できる可能性があると思います。
これも、宇宙という存在が、地球を「共にある」存在として認め、
遠くからいつも見守ってくれているのだと思います。
「いつも一緒」と言うのは、身体的にいつも横にいる場合だけではなく、
遠く離れていても、相手の心を感じたり、魂の声が聞こえたり、
そういう関係もあるような気がしてきました。
「いつも応援しています」というのは、どんなに離れていても、
いつも共にあって、見守っていますよ!という事でもあるし、
今後もずっと見守っていますよ!という事でもあると思います。
それぞれに信頼感があれば、目の前にいようが遠くに離れていようが、
あまり関係がないように思えてきました。
SNSの発達でzoomなどをやっていると、
実際に会っていても会っていなくても、もはや関係なく、
そこには信頼関係が生まれ、「共にある」感覚が芽生えてくるような気がします。
よって、私たちは決して独りではなく、
誰かがどこかで見守ってくれている存在だと思います。
そして、自分が見守られているように、
自分も誰かを見守っている存在だと思います。
心に何かを感じた時、それが「共にある」という事ではないでしょうか。
だから「いつも一緒」と云えるのだと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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