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「自らの道は自ら切りひらく」というのは、よく耳にします。
自分が何も考えずにただ流されていた時は、
生きるということは、敷かれたレールの上を脱線しないように
正しく歩くものだと思っていました。
それは親であったり教師であったり、世間というものであったり、
兎に角安全なレールを示してくれました。
しかしその時、そのレールは他人の人生を歩むものだとは気付いていませんでした。
今では、自分の人生は自分が切りひらくものだと確信しています。
なぜなら、自分が他人の人生を生きたとしても、
そこには自分というものの存在がありません。
反対に自分の人生を他人に生きて貰っても、
そこには自分と言う存在はありません。
結局は自分の人生は自分が切りひらいていくしかないのです。
しかしこの段階でも、私は切り拓くための道具は、
お店でセットで売っているものを探そうとしていました。
どのような道でどう切りひらいて行くかは、自分が考えるしかないのに、
道具はお店で売っているセットものを買おうとしていたのです。
それはベストな方法ではなく、自分がどのように切りひらくか考えた上で、
その時に必要な道具は何かを考える必要があると思います。
小柄な自分が扱える道具にはどのようなものがあるのか。
どれを使えば効率的に切りひらくことが出来るのか。など、
自分にとってやりやすい環境は、自分で創るしかないのです。
ホームセンターに行って自分の手で持って見て、軽くて使えそうなら買ってみる。
そうして1つ1つ自分に合った道具で、自分の意志に従って切りひらいて行くのだと
思います。
自分しか歩めない道の行く末は、「輝く自分の人生」という星です。
他の人が歩むことができない、自分だけの道です。
他人の道を眺めていても、自分の道を歩むことも切りひらくこともできません。
そう思うと、自分の好きな方向に、好きなように切りひらく自分の道は、
自由そのものです。
誰に邪魔されることなく、誰にも命令されることなく、
望むように切りひらくことができるのです。
「道程」という高村幸太郎の詩の一部、
「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる」
と言うのは、今ではこの詩がよく解ります。
自由と云うのは、全てを自分でやるから自由なのです。
当然、全てを自分でやるしんどさはあると思います。
しかし、そのしんどさは自分の輝く人生に繋がるしんどさなので、
歓びの方が大きいと思います。
人に頼らない、自分が主人公の自分の道は、
それだけで大きな価値や意味があると思います。
そして、そこには揺ぎない輝く自分が存在するのだと思います。
自分が手に掛けた自分の人生ほど、素晴らしいものはないと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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