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何かの行事なり、何かのお手伝いなり、何か頼まれて引き受けた時、
自分が引き受けた以上は、どんなに忙しくても、どんなにしんどくても、
文句は言えないと思います。
しかし時代の流れと共に、その意識は変わってきているようです。
私たちの古い年代の時は、何かのお手伝いと言うのは自分が何かを学ぶチャンスだと
思って、喜んでお手伝いをしていました。
しかし、月日が経って世の中にアルバイトが浸透すると、お手伝い=アルバイト
という感覚になり、無料では頼みにくくなりました。
また、引き受ける側も以前は1つの経験として勉強になると思い、
喜んでお手伝いをしていました。
それがアルバイト感覚になると、時間内に作業をするという感覚になり、
折角の経験も、そこから何も学ぶこと無く、ただ時間だけを過ごしています。
例えば地域の盆踊りで金券を売るような場合、ここでの意識の違いは、
「ひっきりなしに金券を売って、もう疲れたわ!」で、解散後、どこかに食べに
連れて行ってもらうのが当たり前。という感覚。
「今年はお客さんが多くて良かったし、子どもも沢山来てくれて成功だった!
来年は金券の売り方をこうした方がやりやすいよね!」で、解散後、
何処かに食べに行っても自分の分は自分で出そうとする感覚。
同じ時間、同じ作業をしても、捉え方が違うのです。
これは学校でも同じで、かなり古い私の年代の時は先生に学校行事のお手伝いを
頼まれた時は、即座に「やらせてもらいます」でした。
なぜなら先生とお話する機会もあるし、お手伝いを通して1つの経験が出来ると
思ったからです。
そこから十数年、頼む教師も年代が変わると教師自身が「アルバイト料を出さないと
学生に頼みにくいから」とアルバイト料を出すようになりました。
そうすると学生の方も、自分がやっているアルバイトと同じ感覚になり、言われた事だけを
こなしていく作業だけで終わってしまいました。
本日のメルマガでやはり大切だと思ったことが書かれていました。
今は自分の道場を持っておられる方が若い時、外国のジムに入門する事になりました。
衛生環境は日本では考えられないくらいひどい状態でした。
そこでそのジムを紹介してくれた会長は、本人の為を思ってホテルを用意しました。
しかし本人は「学びに来ているのだから、皆と一緒に寝泊まりするのが礼儀だと思います」
と言って、ホテルに行きませんでした。
「学びに来ている人間が、文句を言うのが嫌なんです。
受け入れてもらっているのに、自分だけホテルで寝るとか、おかしくないですか?
郷に入っては郷に従えだし、こちらは学ばせてもらいに行っている立場だから
同じ環境で寝泊まりしてこそ、来た意味があるじゃないですか」と。
「学ばせてもらっている」
「受け入れてもらっている」
そういう感謝の念が文句を言わない自分を作り上げているのだと思います。
こういう姿勢だからこそ、いろいろな大会で優勝し、ご自分の会館を建てられる
ほどになるのだと思います。
「頼まれごとは試されごと」と言いますが、自分が何か頼まれた時、
それをどう受け止めてどう考えるか。
十人十色の判断・選択があると思いますが、
自分からやるという選択をしたのなら、文句は出ないと思います。
むしろ、その頼まれ事から、何をどれだけ吸収することが出来たか。
学びの多い経験になったかどうか。
学ぶことは身のまわりにでも、沢山転がっていると思います。
じゃ、また明日!