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今日で令和6年能登半島地震から1か月。
ようやく仮設の準備にも取り掛かり、日常らしい生活が始まろうとしています。
被災者の方全員が仮設なり何処かで、手足をゆっくり伸ばして眠れるように
なるまでには、まだまだ時間が掛かると思います。
家を失い、仕事を失った方々は、まだまだ先のことなど考えられず、
明日の事で精一杯だと思います。
震災から1か月という事で、地元神戸新聞社がインターネットで募った、
被災者の方々への応援メッセージが400件を超えたと載っていました。
やはり神戸の人は29年前の事を思い出し
「皆さんが今、どういう境遇にいるのか、痛いほどわかります」と言うのは、
ほとんどの人が同じ気持ちだと思います。
東北の東日本大震災に遭われた方々も同じだと思います。
熊本大震災に遭われた方々も同じだと思います。
そこで皆さんが感じたのは「支え合い」「助け合い」「繋がり合う」ことだと思います。
神戸で1か月ほど経った頃、やたら目に付いたのが「がんばろう神戸!」のノボリでした。
飲食店や町のあちこちにそのノボリは立てかけてあり、否が応でも毎日目に入りました。
また、当時のオリックスの選手もユニホームに「がんばろう神戸!」が張り付けられて
いたので、その言葉に勇気づけられました。
その「がんばろう神戸!」が「がんばろう東北!」になり今回、神戸からの寄せ書きには、
「がんばろう!能登 ともに がんばろう神戸」となっていました。
「がんばってください」ではないのです。
「がんばろう!」なのです。「ともに!」
寄せ書きには、
「泣きたいときは思いっきり泣いてください。
街並みを眺めて絶望したら、今の神戸を見てほしい」とありました。
家の潰れ具合、道路の凸凹、広範囲の火災、どれも神戸と重なります。
そんな中で仮設から始まり、10年20年29年で今の神戸になりました。
震災の事を口に出せるようになったのも、やっと20年以上経ってからの今です。
口に出せるようになるまでは、決して諦めることなく、
明日を信じて生きて欲しいと思います。
神戸新聞には、能登の道路わきに掲げられた文字の写真が掲載されていました。
「負けんぞ能登 2024.1.1」
これから先、日常が戻れば戻るほど、泣きそうな時や負けそうな時が来ると思います。
でも、そんな時でも「負けんぞ能登」の文字を思い出して下さい。
そして震災がくれた「支え合い」「助け合い」「つながり合う」ことの
大切さ、有難さを「ともに」感じることができればと思います。
人間は自然には抗えないと思います。
自然の爪痕でさえ受け入れ、自然に敬意を払って、また元の生活を
取り戻すしかないと思います。
TVのインタビューで船も家も流された漁師さんが言われていました。
「もう、すべてダメになった。何をどうしていいのかも今は解らない」
「今日1日の事を考えるのが精いっぱい」
「今日を何とか生きるしかないけど、今日があるから明日がある」
今日と言う日が無ければ、明日という日もないのです。
今日があるから明日があるのです。
そう思えば、今日と言う日をもっと大切に生きる必要があると思います。
じゃ、また明日!