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「価値はすべて主観によるもの」という考え方に改めて「そうなんだ」と思いました。
普段、価値とは絶対的なような気になっていました。
しかし、同じ商品やサービスでも受け取る側、つまり個々人の欲求によって、
その価値は変わって来ます。
それはその時の受け取る側の状況によっても変わってくると思います。
使用目的や意味付けを変えることで、同じものでもまた違った価値の変換が
できるのです。
或いは伝える相手を変える事によって、今までと違った価値を生み出すことも
できるのだと思います。
そして価値を理解するには、価値を見出すだけの必要性や感性が、
受け取る側になくてはなりません。
今回、令和6年能登半島地震では、今も物資が届いていない孤立したような
所があります。
そういう所の方達は、今までになく、ものの価値を感じることと思います。
例えば、新聞紙は床の冷たさを少しでも緩和します。
神戸では震災の時、新聞紙でスリッパを作るのが拡がりました。
ほんの少しでも新聞紙のスリッパを履くと、冷たさが和らぐのです。
それと、夜明け前だったので裸足で逃げた方達もいたので、靴さえ履いてはいません。
そんな時、新聞紙のスリッパさえ役に立ちました。
これも価値の変換かと思います。
今一番皆さんが欲しがっているのは水です。
普段、蛇口をひねればどんどん水が流れてきています。
しかし、水は飲むだけではなく、口をゆすいだり、洗い物をしたり、トイレを流したり。
今はまだ入れませんがお風呂にも必要です。
普段何気なく蛇口をひねっていたり、歯を磨いたりする時は出しっぱなしの人も
おられたかも知れません。
しかし、震災の時の水は「命の水」のように感じます。
同じペットボトルの水でも、その時の状況によって受け取る側の価値が全く違うのです。
日常では今のような寒い時期は鍋物や温かいものがカラダを暖めてくれます。
しかし避難生活ではパンやおにぎりやお弁当は配られても、なかなか温かいものを
口にすることは出来ません。
そんな時、支援活動やボランティアの方々の炊き出しが、どれだけカラダと心を
温めてくれることか。
温かいものを口にするだけで、ホッとして不安が和らぎます。
今回のような寒い雪の中では、生き返ったような気がします。
日常で食べていたおうどんや汁物も格別の価値を感じるのです。
そしてその温かさと美味しさによって感謝の気持ちが生まれ、
復興した暁には今度は自分が支援する側に回りたいという、
新たな心の価値を生み出すのです。
「価値とはすべて主観によるものだ」という事が分かったような気がします。
じゃ、また明日!