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私たちは何事も、先ず自分の事から考えます。
先ずは自分が優位に立つよう、自分に利益があるよう、自分優先です。
しかし、それでは相手を喜ばすことは出来ません。
私もよくあるのですが、相手のためと思ってやったことが、
反ってその人に迷惑をかけてしまう事もあります。
そういう時はよくよく考えて見れば、結局は自分の自己満足で
やっている可能性があるのです。
物事を考える時に自分軸に立っているのか、相手軸に立っているのか。
相手軸に立たないと、相手が何を想い、何を心から求めているのか
察することは出来ません。
さもなければ、自分の固定観念を相手に押し付けている可能性もあるからです。
よって、相手への理解は愛の基本だと思います。
お花を育てる時、うまく咲かせるためにはその花の性質をよく知っておかないと、
枯れてしまいます。
そのお花がどの位の日当たりを望むのか、
どんな水加減が好きなのか。
それを理解せずに、ただ闇雲に水をあげてしまえば、
根腐れを起こしてしまうかも知れません。
心の庭師のように、花には優れた種があると信じて、
その花に合った水や養分を与え続ける必要があると思います。
これは花に限らず、相手を理解していくことが、
相手と繋がっていくことになるのだと思います。
しかし、繋がるという事と、相手を束縛する事とは違います。
むしろ繋がるから、相手を解放することが出来るのだと思います。
私は学生と接していたので、
いつも学生が悩みや苦しみを吐き出してくれればと思っていました。
そして学生の心を、少しでも軽くしたいなと思っていました。
しかし瞑想を始めてからの今では、
当時の私の耳の傾け方は浅いものだったと思います。
どれだけ相手に思いやりを持って耳を傾けていたか。
今だったら、もう少し深く耳を傾けられるかなと思います。
相手に対する理解と信頼と愛は、
「私があなたで あなたが私である」
という見方に変えてくれるかもしれません。
そしてそれは、
一種の解放をもたらしてくれるのかも知れません。
じゃ、また明日!