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日本人は自己肯定感が低いと言われます。
外国と比べて見ても、自分自身を考えてみてもそうだと思います。
なぜなら外国のように小さい時から自分の意見を言ったり、
主張したりする機会があまりないからです。
それと「謙虚は美徳」という日本の文化が邪魔をしていると思います。
確かに「自分が自分が」と、自己主張しすぎるのも良くありませんが、
自分を出さなさすぎるのも、それが当たり前となって
「自分はダメなのだ」という意識を培ってしまうのだと思います。
外国では謙虚であり過ぎることはデメリットとして捉えられるので、
自分自身を過小評価するのも、考え直さなければならいかも知れません。
しかし、自己肯定感が高いのが良いのかと言えば、そうでもないようです。
例えば就職の面接で自己紹介をする場合、自己肯定感高く「こういう事ができます。
ああいう事もしました」と、アピールして採用されても、入ってからが自分の
実力との差に苦しめられると思います。
自己肯定感を高くするのも良いかも知れませんが、それよりも大切なのは、
自分が歩いて来た道に気付くこと。
自分が歩いてきた道は、辛い事ばかりだったのか。
悪い事が起こってばかりだったのか。
全てを自分の意志で決めて来たのか。
或いは管理の中で育ってきたのか。
それらはすべて自分が自由に自分の意志で決めて来たのかどうか。
私など、すべて自分が決めて来たつもりでいましたが、
自分を振り返った時、そうではなかったと思います。
小さい時から末っ子の甘えただったので、何かにつけて母親や姉がやってしまい、
私の出番はなかったのです。
カラダも小さかったので「あなたには無理だから」と全ての事をしてくれました。
よって「自分は何も出来ない」「自分はダメな人間だ」と、自分で自分に
刷り込んでしまったのです。
ただ、やる機会が無かったというだけの話なのに。
その自己肯定感の低さをずっと引き連れて、自信の無さから前に立つ事から逃げ、
人の後ろに隠れることで安心していたように思います。
そういう自分だから、目立たないで一歩引き下がるような人から
よく話しかけられたりしていました。
頭では前に出た方が良いとわかっているのに、
いつも心がブレーキを掛けるのです。
それは多分、自分の自信のなさや「あなたには無理だから」という
トラウマがあったからかも知れません。
親としてはカラダが小さいから「あなたには(まだ)無理」と言ったのを、
私には「無理=できない」と聞こえてしまい、
そう受け取ってしまったまま、現在まで来てしまったようです。
それらは単なる自分の思い込みに過ぎなかったものかも知れないのに。
それが自分の思い込みであれば囚われる必要などなく、
自分はもっともっとやれていたかも知れません。
自分が歩いてきた道をもう一度振り返って考えてみれば、
今までと違う捉え方をして、気付くことがある可能性があると思います。
いつも自分の心に正直に、ありのままの自分を見て行きたいと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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