タグ:
最近、色々なものを見過ぎたのか、以前より感性が鈍ってきているように思いました。
ビデオの見過ぎ、SNSの見過ぎ、TVはあまり見ていませんが、兎に角情報の波。
何もしなくても、向こうからこれはどうですか? これは感動しますよ!と、
情報の波が押し寄せてきます。
それらの中で、昔は感動することが多かったように思います。
年を重ねて自分自身に新鮮さが無くなったかも知れませんが、以前のような感動が
減ってきたように思います。
以前だったら「楽しい」とか「面白い」とか思っていたのに、同じものを見ても
あまり感じなくなりました。
しかし、感性が鈍っていることは悪い事なのでしょうか?
何かを感じ取る事に価値を見出し過ぎているのかも知れません。
沢山の感情や情報に触れすぎて、心が「もう何もいらない」と、
防御しているのかも知れません。
3カ月前くらいから、無理に1日3食を食べることを止めました。
朝食は大切だから抜いてはいけません。
1日3食きっちり食べましょう。
そのお陰で、かなり胃がもたれたままでスッキリしなかったのです。
それで1日2回にして16時間空ける事にしました。
すると、胃はスッキリしてきたし、これを食べたい!と思って食べるし、
体重も減ってきました。
それは固定観念、脅迫観念に囚われていたのだと思います。
それよりも、自分の感覚を大切にして、自分のペースでやることが
自分にとっては一番良い方法だとわかりました。
そう思うと、何に対して心を動かされるかどうかも、自分が決めればよい事です。
しかも、以前の自分と同じにする必要はないのです。
考えてみれば、昔は映画を見ても、最初の音楽だけで涙が出ていた時期がありました。
まだ物語が始まってもいないのに。
人から見れば「なんで泣いてるの?」だと思います。
しかし、バイオリンのもの悲しい旋律を聞いただけで、涙が出て来たのです。
その時の自分と今の自分は価値観も感性も違います。
「心が動かされない事=悪いこと」と、自分が勝手に思い込んでいただけです。
TVやSNSのインパクトの強い言葉にうんざりして、拒否反応を起こしたのかも知れません。
楽しくないものは楽しいと思わなくて良いし、
好きだと思わないものは好きだと思う必要もないと思います。
他者から与えられた脅迫観念よりも、何も感じない状態を受け入れることも、
本来の自分の感性に近付いているのかもしれません。
何も感じないこの空白も、もしかしたら、自分自身から湧き出てくる感性の
準備段階かも知れません。
他者から見れば、非生産的なことかも知れませんが、
自分からすれば自分の内側をシンプルに整理しているのかも知れません。
そして、自分の心から浮かび上がってくる感動が、
これからの自分の感動の源なのかも知れません。
時には真っさらな、真っ白な自分の心に戻るのも良いかなと思います。
得ることばかり考えるより、自分が心地よい状態を作る方が価値があるかも
知れないなと思います。
外から与えられた感性よりも、
自分が素直に感じる感性の方が自分を生きることになります。
自分の感性は自分のもの。
鈍っている時は、次なる感性の準備段階だと思います。
じゃ、また明日!


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

投稿者

jibunoikiru@gmail.com

関連投稿

タグ:

2280枚目■ 行動と言葉を一致させる

「言行一致」とよく言います。口で言っている事...

すべて読む
タグ:

2274枚目■ 「無理」「ならどうする」

何かをやろうとする時、或いはやりたいと思う時...

すべて読む
タグ:

2235枚目■ 何を捨て何を残すか

私は昔から「マイナスの美」の美しさが好きでし...

すべて読む
タグ:

2233枚目■ 自分が自分をどう思うか 

私たちは人目を気にして生きている場合がありま...

すべて読む
タグ:

2232枚目■ 目的の為なら共にやれる

今回のNHK「新プロジェクトX」は、世界遺産...

すべて読む
タグ:

2231枚目■ 共に目標を達成する能力 

人が他人と協力し共同の目標を達成する能力は、...

すべて読む