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武道系や1対1のスポーツなど、相手とぶつかって勝負するのがあります。
しかし、いつもいつもぶつかってばかりかと言うと、そうではありません。
相撲などでも「引き倒し」という技があるように、相手が前に行こうとする力を
利用して、相手の腕や肩を正面から手前に引き、相手を倒す技です。
空手などでも、突きや蹴りで攻めかかりますが、相手が達人であれば、
軽く受け流され、転ばされます。
時代劇の戦いなどでも、刀と刀がぶつかり合って十文字になった時、
入れていた力を抜くとぶつかっていた刀が滑るような音を立てて、
相手が倒れてしまう。
というシーンをよく見かけます。
達人になれば力を入れることなく、相手を倒してしまうのです。
攻めようとする力が入れば入るほど、受け流された時にその力が自分に
跳ね返ってくるのだと思います。
そのためには体幹を鍛えておく必要があると思います。
体感さえしっかりしていれば、腕や手の力を抜いて相手の力を受け流す
ことが出来ます。
しかし、この時体感がしっかりしていなければ、腕や手の力は抜くことが
出来ないし、相手を受け流すことは出来ないと思います。
これは我々の日常生活や、人間関係にでも共通すると思います。
自分という人間の「自分軸」をしっかりと持っておく事が大切だと思います。
自分と言う人間の本性は何か。自分はどう在りたいのか。どのように生きたいのか。
それを自分が知っておく必要があると思います。
その自分軸がしっかり確立しているから、どの角度からでも、どんな人でも
対応が出来、受け流すことが出来るのだと思います。
何事も剛・柔ありますが、攻めの剛ばかりだと力尽きて負けてしまいます。
反対に柔を持ち合わせ、いつも自分の心に正直にそして忠実に、
相手に合わせて対応することが出来たなら、
いつでも相手を受け流す事が出来るのだと思います。
達人は自分の芯以外は、相手に合わすことができます。
達人に及ばない人は、相手を自分に合わせようとします。
よって、反発が起こるのです。
相手に触れさせるようで触れさせない。
むしろ相手を空気に触れさせているのかも知れません。
これが達人の所以かも知れません。
そして、相手を責める機会があっても責めることなく、
ただただ転ばせるだけ。
達人はどのような相手でも「受け流す」ことが出来るのだと思います。
そして、いつもブレない強い心を持って、
判断・選択をしているのだと思います。
相手の出方に応じて、こちらの動きや対応を変える。
しかし、こちらの軸はぶらすことはない。
これが相手に対して「どのようにでも」「いかようにでも」
相対する達人の姿勢だと思います。
この領域に行くまでには、まだまだのような気がします。 
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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