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最近違和感を覚えることが多くなりました。
はみ出すことはいけない事のような価値観に違和感を感じます。
何もかもが画一的でそれ以外はダメなような感じです。
画一的:何もかも一様に揃っていて個性や特徴がないさま。
一つの枠にはめ込むさま (ウィクショナリーナリー日本語版)
現在の日本の教育は管理教育なので、画一的にする方が管理しやすいです。
よって、保育園の時代から先生の言った通りの事をやらないと、
「出来ない子」「言う事を聞かない子」として、時には暴言を吐かれたりします。
小さい時の教育はその子の人間性を育む、非常に大切な時期だと思います。
その様な時に先生から暴言を吐かれると、その時の恐怖がトラウマとして
ずっと付きまとい、その子を苦しめ続けます。
みんな同じでなければならないのでしょうか?
いつから、そのような風潮になったのでしょう?
これは人間教育だけではなく、食べ物の世界やその他の世界、
あらゆる所にもその傾向があるように思います。
今日の新聞で、近年の気温上昇に伴い頻発しているブドウの色落ちに
歯止めをかけるため、植物成長調整剤をピオーネに散布するとか。
地球温暖化と言われ、今年はとうとう地球煮沸化とまで言われるようになりました。
地球温暖化を防ごうと国際会議まで開かれているのに、一向にその目標基準まで
達していません。
地球よりも自分達のための方が大切なのです。
自分の子どもや孫の世代よりも今の自分が大切なのです。
ピオーネは濃い紫色だと決めつけるから、わざわざ植物成長調整剤を
ピオーネに散布するのであって、色落ちしていても味が変わらなければ、
見た目を画一化する為に散布する必要があるのでしょうか?
今、野菜や果物の規格外品が売れています。
キュウリがまっすぐでないから、色が少し薄いから、形がまん丸でないから。
見た目は違っていても中身の味が変わらなければ、そこまで画一化する必要に
何の意味があるのかと思ってしまいます。
見た目や外側に囚われるのではなく、中身に囚われて欲しいと思います。
地球温暖化の中で植物はその環境で生きようとしています。
画一化するという事は、その生きようとしている力を阻止しているのと同じです。
人間でも動植物でも、地球上のものは見た目ではなく、中身で生きているのです。
コロナワクチン接種は自由なはずなのに「全員打ちましょう」と言っているし、
コロナの次はヘルペスワクチン。
次から次へと、ワクチン漬けになっています。
コロナワクチンを全員打たせる必要のあるものならば、
なぜ何回も打っている人がコロナに罹るのでしょうか?
なぜ打った人が翌日や翌々日に亡くなっているのでしょうか?
そのあたりもはっきりさせないまま、マスコミは煽っています。
これも画一化です。
コロナワクチンの場合、画一化以外にも何か意味がありそうですが、
そこには選択肢があって良いと思います。
打つ・打たないは自己責任です。
私は、画一化よりも多様化の方が、人はしあわせになれると思います。
じゃ、また明日!