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ある方のメルマガで、その方の読まれた本の1つの章が紹介されていました。
『守る人の義務ーウィリアムの物語』というものでした。
ウィリアムの子どもの頃の希望は、
「父と母の望む通りにすること、望む通りの人間になること」だった。
よって彼のスタイルは「やれることを最大限やること」でした。
35歳で父の会社の経営を任されてからも、
父が職場にいることで落ち着かなくなって来ました。
ウィリアムは「自由が大事なはずなのに、自分のことを自分で決められない」と、
苦しんでいました。
「息苦しい時に、ただ耐えるだけだ」と思っていました。
彼の人生には「遊び」というものが無かったのです。
59歳になった彼はそういう状態を振り返って、
「しかしなぜなのか分からず自分を消耗してきた」と語りました。
そんなウィリアムを本の著者は、
「両親からの期待を果たす」ことで両親から注目されることを望み、
自分がやりたいことではなく、自分に期待された義務を果たす。
その中で、自分の深い感情を抑圧し続けて、
自分でも気付かないようになっていくパターンを獲得していきました。
と、書かれていました。
こういうパターンは「追い込まれた人間」のようで、
日常の仕事に全精力を注ぎ、多くの義務に追われ、
義務感によって衝動をおさえられる。
と、著書ではそのような印象が書かれているようです。
その背景には、
「忙しくしているうちは、自分自身に向き合わなくてもよい」
ということもあったようです。
『自己調整をする』と言う意味では、
「彼自身の理想・希望・願望ではなく、彼が果たすべき義務・責任を目的とした」
ということのようです。
確かに私の若い頃にも、こういうタイプの人はいました。
むしろスケジュールが空いている方が不安になるようで、
いつも何か動き回っていました。
自分自身を振り返っても、誰からも何も言われていないのに、
期待された義務を果たしていたような所があったかも知れません。
当時はそれが自分の理想・願望であると思っていましたが、もしかしたらそれは
自分が果たすべき義務・責任を目的とした行動であったのかも知れません。
小さい時から「いい子だね」と言われたことが、
誰からも何も言われていなくても、いい子にしなくっちゃあと思ってしまい、
それが当たり前になっていたのかも知れません。
そう思うと、本当に自分の意志で自分の判断・選択ができるようになったのは、
いつの頃からなのかと思ってしまいます。
まさかと思うけれど、
やっとこれから? かも知れません。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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