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「今ここを生きる」と言うのは、もう何回も何回も聞いています。
これだけ良く耳にしたり目にしたりするのは、やはり「今ここ」を生きていない人が
多いからなのでしょうか?
今、ここを生きていないから、過去に囚われたり、未来を不安に思ったりするのだと
思います。
過去に囚われるという事は、過去の良くない経験を思い出し、それに縛られ、
支配されてしまうのです。
しかし、今さら過去を変える事などできるはずもなく、それに囚われても
何も出来ません。
アドラー流に言えば、自分の何かの裏付けとして、過去の記憶が必要だったと
いう事になります。
反対に、未来も「未だ来たらず」と書くように、確実に約束されたものでは
ありません。
そして未来を考える時は、未だ来てもいないことに対して不安を感じてしまうのです。
よって、明日の事を思い煩ってしまうのです。
例えば、大病を患った時、お医者さんから「あと5年です」と言われた時に、
「あと5年しかないのだ」と絶望の未来を描き、結局は5年で亡くなる人もいれば、
「あと5年もあるのだ」という事で、その5年でやりたかったことをやっているうちに、
病気の方がどこかに行ってしまった。という事もあります。
私の知っている方たちは後者の方で、皆さん回復されています。
亡くなられた方も、お元気だったのに調子が悪いからと病院に行った時、
お医者さんから「あと1か月です」と言われ、誰も信じられない状態でした。
しかしその方は後1か月ならと仕事を全部断り、娘に何か遺したいと、
趣味でやっていたペインティングのティッシュケースを作り、
太って来たご主人が、自分のお葬式で恥をかかないよう胴回りを修正されました。
そうこうしているうちに1か月が3カ月になり、6カ月になり、1年半で亡くなりました。
この方の1年半は今日という日を目いっぱい生きておられた1年半でした。
過去の事を想う暇もなく、未来の事を描く暇もなく、ただひたすら
「今日」と言う日を生きておられました。
もしも、娘の将来の事、結婚の事を思い煩っていたら、
その1年半は何も手に付かなかったと思います。
そうではなく、その1年半を見舞いに来てくれるご主人や娘さんと、
楽しく会話して時間を過ごされました。
時には外出許可を貰って、娘さんと買い物に行ったりもしていました。
お喋りも買い物も今日1日の一瞬一瞬の積み重ねです。
その方の生きざまは、ご自身のためと言うよりは、
家族のために貢献されていたと思います。
明石屋さんまさんの言葉じゃないけれど「生きてるだけでまるもうけ」
と言われるように、人は生きているだけで価値があると思います。
そう思うと、「もっともっと今日という1日を大切に生きているか?」
と、問われたような気がします。
じゃ、また明日!