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「故郷は何処ですか?」と聞かれれば「○○県です」とほとんどの方は言われます。
そして「海や山があって、よく走り回っていました」と。
私は都会で生まれて都会で育ち、今も都会のど真ん中に居るので、
故郷(ふるさと)と言う感覚はほとんど感じたことがありません。
確かに少し移動すれば自然があり、良い所は沢山あります。
他府県の方のほうが旅行ガイドなどで、その自然の良さを知っているかも知れません。
自然環境的には産まれた土地が故郷になるのだと思います。
そして故郷には自分の人生で故郷を離れるまでの何年か分が、
記憶として懐かしく刷り込まれるのだと思います。
懐かし思い出も、忘れてしまいたい思い出も。
都会のど真ん中で育った私は、せめて「心のふるさと」は持っておきたいなと思い
考えてみたのですが、すぐには思い出せませんでした。
何しろ家でボーっとしているのが好きだったので、外で遊んだり出かけることが
あまり好きではなかったのです。
それで、自分が一番安心だと思った所はと言えば、母の背中だったのです。
カラダが小さく体力がなかったので、幼稚園の頃まではしんどくなるとすぐに
「おんぶ」をしてもらっていました。
よって、その背中の記憶が強いのです。
母の背中に安心して身をゆだねている時は、安心感に浸っていました。
そこが私の心のふるさとのような気がします。
これは親に限らず、自分に安心感を与えてくれた誰かでも良いのです。
その母を看取っていなくなった今、私の故郷は何処なのだろう。
不思議なもので親はこの世に居なくなったのに、自分の中で生きているのです。
喧嘩もしたし、時には嫌なことがあったけれど、ふと思い出される場面は、
自分が安心感を覚えたところなのです。
そしてこの世からいなくなってかなり時間が経った今、
親と重なった自分自身がそこに居たのです。
好きだった部分、嫌だった部分、そのどちらもを自分が受け継いでいるのです。
あんなに批判していたことを、今、自分が同じことをしているのです。
心の故郷って、もしかしたら今の自分自身かも知れない。
そう思うと、人間のつながりというものは不思議でもあり、
愛おしくもあるのだなと思います。
心の故郷は遠きにありて思うもの。ではなく、
自分のすぐそばの自分の心が、自分の第二の故郷だったようです。
じゃ、また明日!