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人は病などで残された時間が少ないと知ると「何のために生きてきたのか」など、
心の奥底をのぞかせる人が多くいるようです。
「何のためにいきてきたのか」「誰のために生きてきたのか」は、
若いうちからでも問われることはあると思いますが、やはり元氣な時に問われるのと
余命を宣告されてからだと、逼迫度が違ってくると思います。
自分が生きる意味は、自分の生きがいに繋がっていると思います。
コロナ禍で、働き方や生き方が見直され、人間が作った今までの価値観は、
どんどん変わりつつあると思います。
今まで、価値観というものは変わらないものと思っていましたが、最近は
価値観は変わるものであり、人間がつくり出したものであると思うようになりました。
そうなると何か大きなことがあると変わってしまう価値観にとらわれて、
自分の生きがいや人生の生きがいを探し続けるのも、それでよいのかなと
思い始めました。
良い大学を出て、良い会社に入って一生安泰という価値観は、もう通用しません。
それは社会の価値観に自分を合わす生き方です。
そうではなく、自分の価値観に自分を合わすのが、自分を生きているという事に
なるのだと思います。
そうであるなら、自分の価値観を確立させる方が、自分の人生を生きれると思います。
「~しなければならない」という世間の価値観に自分とのギャップを感じ、
いつも追い詰められて苦しむのも、自分を見失う源だと思います。
「自分は何のために生きて来たのか」
それは自分を生きる為に生きてきたのであり、自分を生きるという事は、
自分のやりたい事、自分の望むことを実現する事だと思います。
第二の人生は都会を離れて田舎暮らしをしたい人はそれがその人の生きがいです。
茶飲み友達と楽しく笑って過ごしたいのも、その人のしあわせだと思います。
誰かの役に立ちたいと思うのも1つの生きがいです。
人々に何かを伝えたいのも、その人の生きる意味になってきます。
人が幸せを感じるのは十人十色です。
自分が本当にやりたい事を実現させていくのが、生きがいであると思います。
人は生まれて来たこと自体に価値があり、意味があると思います。
よって、人は人と繋がる事に幸せを感じ、世の中のお役に立ちたいと思うのも
自然だと思います。
人は死に至る直前までは生きているのです。
だからこそ、残り時間を大切にして、自分の生きがいを追求し続けるのも
1つの幸せだと思います。
ある人にとっては生き甲斐であり、
ある人にとってはそれを使命と呼ぶかも知れません。
いずれにせよ、自分の価値観で自分の人生に喜びを持たらすことが出来たなら、
最高の人生だと思います。
志半ばでも良いので、最後まで生き甲斐を追い続ける人生を送りたいものです。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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