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ゆとり教育は2002年4月より、小学校・中学校で実施されました。
今まで土曜日も半日授業があったものが、土曜日がお休みになり、
週休2日制によって授業時間が減少しました。
それは「詰め込み教育」の反省として、
「脱偏差値・個性重視」を目指すものでした。
「ゆとり」の為の土曜日でしたが、その「ゆとり」時間をどのように使うのか、
「ゆとり」に対する考え方を子ども達や保護者にどのように伝え、
浸透させて行ったのか。
当時、社会でも週休2日制になっていたので、家族でお出かけをしたというニュースは
よく目にしました。
反面、学力低下や学習意欲減退で、塾通いが一層加熱するという皮肉な現象もありました。
本来の「ゆとり教育」は子ども達に「自ら学び、自ら考え、主体的に判断・行動し、
問題を解決する能力」を身に付けさせるはずでした。
一人1人が「活きる力」を身に付けるはずだったと私は受け止めていました。
しかし、子ども達ばかりか保護者も何をさせてよいかわからず、学習離れがおこりました。
挙句の果てには、受験に関係のない科目は勉強しなくなりました。
「ゆとり教育」を始めるにあたっては、その目的を十分に知らしめる必要があったのでは
ないかと思います。
見守りながら育てるのと、放任主義とは別ものです。
「好きな勉強をしてください」では、主体性だけで動ける子どもは少ないと思います。
その為には基本となる基礎教育がしっかりと出来ていなければ、自主的には
考えられないと思います。
「ゆとり」とは、それ以前の詰め込み教育を反省し、受験の為だけの学習ではなく、
「心のゆとり」を育むためのものではなかったのかと思います。
確かな基礎学力を身に付け、スポーツや文化活動、ボランティア活動などの体験を通じて
心を豊かに成長していくはずではなかったのかと思ます。
色々な体験を通じて問題解決能力も促され、知識と体験と学習が繋がることにより、
学び方を習得できるのだと思います。
知識や理解などペーパーテストで測定しやすい「見える学力」
思考や表現などペーパーテストで測定しにくい「見えにくい学力」
ゆとり教育で育まれる「学ぶ力としての学力」
これら3つが合わさった成果が「生きる力」になるのではないかと思います。
本来「活きる力」に繋がるはずの「ゆとり教育」が、
「自ら学び、自ら考える力」を育てるものであるという、基本的な内容が
学校・教師にどれだけ伝わっていたのか。
「自主性」という名ばかりのお題目で終わってしまい、その中身を伝えることなく
文部省も終わらせていたのではないかと思います。
社会的には「失った20年」と言われていましたが、社会ばかりではなく、
教育現場もこの「ゆとり教育」は「失った20年」と言えるのではないかと思います。
今、「体験学習」の必要性が叫ばれていますが、まさしく「ゆとり教育」で育むべき
だった学習の必要性がやっと、目覚めたのではないかと思います。
これからは本来の教育に戻らないと、日本は増々落ちこぼれの国になってしまうと
思います。
じゃ、また明日!