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日本人は自己肯定感が低かったり、自虐的だったりします。
私などもその典型だと思います。
「自分にはできない」「どうせ無理だろう」と。
その源と言えば、小さい時からの教育にあると思います。
親であったり学校の先生であったり。
ちゃんと言う事を聴けば「いい子、いい子」で頭を撫でられ、
言われた事と違う事をすれば、叱られる。
その環境で育っているので、大人のいう事は聞くもの、
反発や自分の意見を言うのはダメなこと。と、思い込んでいました。
よって、いつまで経っても頭を撫でられる子猫ちゃんでいたのです。
しかし、「自分で考え」「自分で行動し」「自分で責任を取る」という生き方に
触れた時、果たして大人しい子猫のままで良いのだろうかと思い始めました。
人と違う事をすれば頭を叩かれる。
人と違った意見を言うと、仲間はずれにされるか無視される。
よって、いつも人の目を気にして生きなければならない。
果してこれが自分の人生なのだろうか。
これで自分は毎日満足に生きているのだろうか。
と思い始めた時、鏡に映った子猫が寅に見え始めてきたのです。
「自分にはそんな勇気はない」「自分にはそんな力もない」と思っていた自分が
もしかしたら寅の要素を持っているのかも知れない。
ただ、自分でその能力に気が付いていないだけかも知れない、と。
そう思うと、鏡に映っていた小さな寅が段々と大きく映り始めました。
もしも小さい時から「あなたはやればできる子」「あなたにはやる能力がある」と、
言われ続けていたら、鏡の中の寅になっていたかも知れません。
本来の学校は知識だけを詰め込まれる所ではなく、
自分の才能を見つける所でもあると思います。
人との競争に於いても「○○ちゃんに勝った」とか「負けた」とかを比べる所ではなく、
「○○ちゃんはこれが出来て自分にはできないけれど、
反対に自分はこれが出来て○○ちゃんは苦手みたい」という事を認識できる場だと思います。
よって、お互いが自分の得意とする所を自覚して教え合う事も出来るのです。
それが本来の教育だと思います。
他国では、かなり以前からこの教育を取り入れています。
お互いを成績で蹴落とすのではなく、お互いを認め合い、成長しあう。
それを導くのが教師の仕事でもあると思います。
管理教育ではなく、人間教育を!
私も管理教育で育ちましたが、少なくとも私たちの先生方の世代は、
知識だけではなく、雑談の中に人間教育がありました。
そして、その雑談が心に残り、社会人になってからでもその教えを思い出すのです。
自分を生きるという事は、自分の中の可能性に気付くことだと思います。
自分の可能性に気付けば、自分で動くこともできるし、成長する事も出来るのです。
猫だと思っていた自分は、実は「力」と「勇気」のある寅だったと、
心から気付いていきたいです。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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