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人の人生は何処でどうなるかわかりません。
ウクライナの人々は1年前までは平和な日常を送っていたと思います。
誰も、戦争で家も仕事も家族も失うなど思ってはいなかったと思います。
トルコ・シリアの人々もつい3週間前までは、普段通りの日常を過ごしていました。
誰も、地震で家も仕事も家族も失うなどとは思ってもいなかったと思います。
よく、10年後の自分はどうなっていたいか描きなさいと言われます。
それに向けて逆算して今どうすればよいかを考えないと、その10年後の姿には
なれません、と。
確かに自分の未来の姿、自分のビジョン・目標を持たないと、自分の理想の姿には
近付けないと思います。
そうでなければ、今のままの人生が続くだけです。
しかし、戦争や地震があれば、昨日までの生活が一変してしまうのです。
家も仕事も家族もいない生活が現実として目の前にのしかかってくるのです。
そうなった時には、10年後のビジョンどころではなく、今日の食べ物があるか、
今日の寝る所があるのか、今日は生きていることが出来るのか。
その方が自分が生きて行くには重要なのです。
こういう時に必要なのが「生き抜く力」「生き抜く気力」だと思います。
どんな状況下に於いても、決して諦めずに前を向く力。
それを具えているかどうかによって、辛く苦しい日々も捉え方が違ってくると思います。
TVのインタビューなどでも、
「何もかも失って、これからどうすればいいのか」と、嘆き悲しむ人。
「何もかも失ってしまったけれど、何とかやっていくしかない」と、
自分に言い聞かせている人。
壊された、或いは壊れた町を立て直すには、かなりの年月がいります。
その間でも元に戻ろうとする日常があり、生きて行くための術も必要です。
戦争や地震はそれまでのその人の学歴や職歴などは役に立たなくなります。
特に他国に逃れて来た人々にとっては、教師であろうが会社の幹部であろうが、
今すぐ言葉が喋れないという事で自分の才能を発揮する職には就けず、
結局は言葉のいらない清掃や工場の作業など、今までやったことのない事で、
生活費を得るしかありません。
結局は自分自身の考え方になります。
「この状況を脱するにはどうすべきか」
これに尽きると思います。
そして、そういう被害に遭わなかった我々は、
「この状況を援助するにはどうすべきか」
結局は、目の前にある問題を1つ1つ解決していくしかないのだと思います。
その為の力を、自分につけておく必要があると思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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