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信用と信頼、そこには大きな違いがあります。
信用には条件が付いています。
「あの人は○○だから信用する」とか「○○さんが言うのなら、信用する」とか。
銀行でお金を借りる時も、担保を条件にお金を借ります。
信頼には一切の条件が付きません。
無条件に他者を信じる。客観的根拠が無くても信じる。
例え裏切られることがあっても、こちらが損害を被ることがあっても、それでもなお、信じ続けることを信頼と呼びます。
人は、裏切っても裏切っても、なお信じ続けてくれる人がいる時、そんな人に対して、何度も背信行為を働くことは出来ないのです。
アドラーによると「信頼」の反対は「懐疑」です。
懐疑をいだいた場合、そこからどの様な関係が生まれるのか?と投げかけています。
そして、そこからは前向きな関係は何も生まれない、と言っています。
「誰かを無条件に信頼した所で、裏切られるだけだ」と人は思います。
しかし、裏切るか裏切らないかを決めるのは他者であって、それは他者の課題です。
自分はただ「自分はどうするか」だけを考えればいいのであって「相手が裏切らないのなら、私も与えましょう」であれば、条件や担保と同じく「信用の関係でしかない」と言っています。
「課題の分離」の原理原則を理解出来ないと、なかなか信頼には届かない領域です。
しかし、信頼することを恐れていたら、結局は誰とも深い関係を築くことが出来ないのです。
その裏切られることの恐怖を踏み越える勇気が「自己受容」です。
ありのままの自分を受け入れ「自分にできること」と「自分にはできないこと」を見極める事さえできれば、裏切りが他者の課題である事も理解出来るし、他者信頼に踏み込むことも難しくなくなります。
他者貢献とは「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感する為にこそ、なされるものなのです。
と、書いてありましたが、信頼関係を結ぶまでには「課題の分離」や「自己受容」の壁を乗り越えるのが先であると、わかった次第です。
それでも私は「信用」ではなく「信頼」に重きを置きたいと思っています。
じゃ、また!