タグ:
今、飲食店などでの迷惑行為が流行っているようです。
回転ずしで食べ物をペロペロして元に戻したり、醤油さしをペロペロしたり。
兎角にペロペロが流行っているようです。
高校生から30歳代まで、各地で幼児レベルのいたずらをして楽しんでいますが、
彼ら、彼女らは親や教師に正しい価値観をインストールして貰うことなく、
或いは構って貰うことなく現在まで年齢分の時間が過ぎてきたのでしょう。
私自身もそうですが、自己肯定感が著しく低いのだと思います。
人に構って貰いたい行動がペロペロになっているのです。
ある意味、可哀そうな人達です。
その可哀そうな原因の1つが現在の学校教育でもあると思います。
知識ばかり教えて点数で優劣を計り、自分で考えるという機会が学校教育の中には
含まれていなかったからです。
それにやっと気が付いて、2020年度から文部省は「アクティブラーニング」を
取り入れ始めましたが、世界からすれば遅れすぎです。
その結果が、色々な面で日本が右肩下がりになってきている現実です。
本来人は産まれた時から個々人の可能性を持って産まれてきています。
その「可能性の芽」を親や周りの大人、学校の先生などから摘まれてしまうので、
自己肯定感が低くなるのだと思います。
反対に幼児期から、その子の可能性を広げて開花させる育てられ方をすれば、
自ら人生を変えていく大人へと成長したのではないかと思います。
そういう意味からでも、現在SNSで大炎上しているペロペロの人たちは、
幼少期から自分の可能性の芽を摘まれ、何が正しいかの価値判断もできなくなって
イタズラでしか人の気を引く事が出来なくなっているのだと思います。
人に迷惑を掛けたり、悪い事をしてもきっちり罰を与えられないという事は、
その段階でも、周りからまともに向き合って貰えてないという事です。
学校の都合、校長の退職金の都合でうやむやになかったことにされ、
ここでも更生のチャンスを失うのです。
加藤秀視さんは「人を育てる」ということは「希望の持てる未来を創る」こと。
と言われています。
親と子が接するのも、先生が生徒と接するのも、上司が部下と接するのも同じ事です。
どうやれば育つのかを相手の状況に応じて、考え、行動し、修正し続けなければならない。
と。
昭和の時代は、近所のおっちゃんおばちゃんが叱ってくれました。
おっちゃんが怖いから、いたずらもこの辺で止めておこう。となりました。
それがいつの間にか、一昨日の救急車の搬送妨害をした会社役員の男(48)ではないけれど、
キャッチボールをしていた息子に救急車から離れるように言っただけで激高する。
正しい価値観をインストールしていれば、救急車が優先で自分達のキャッチボールは
一次ストップしても良いはずです。
この会社役員の男(48)も誰からも注意されたり𠮟られたりしたことがないのだと思います。
今、私たちができることは、自分の周りの人や子ども達にもっともっと関心を持ち、
困っていれば何か行動を起こし、子どもが小さいうちに叱る時は叱るという関わりを
持つ事ではないでしょうか。
私は近所の子ども達が小さい時から挨拶をするようにしています。
その子たちが小学生・中学生になり思春期になった時、親にはぶっきらぼうにしていても、
私には向こうから挨拶をしてくれます。
男の子など大きくなりすぎて、相手が誰だかわからず挨拶している時もあります。
挨拶をするだけでも良いのです。
「あなたの事を見ていますよ!」という事が伝われば、
その子の持っている可能性が開く時もあると思います。
一人1人が「今」できることを皆がやれば、
迷惑行為で炎上を愉しむような人達も少しは減るのではないかと思います。
じゃ、また明日!