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1月17日は、阪神淡路大震災の28年目です。
私は新築の家に引っ越して半年でした。
お隣とお向かいの3軒が新築半年で、後は古い家だったので3軒だけが半壊で残りました。
他の家は皆さん小学校での避難生活だったので、町はゴーストタウンのようでした。
その後、どこの家も建て替えて私たち3軒が直ぐに一番古い家になりました。
阪神淡路大震災の直後から、
メディアでは「今後30年以内にこの規模の地震が来ます」と言われていました。
そして「30年以内」という言葉が独り歩きをし、いまだに「30年」という
言葉が残っています。
しかし、現実にはあれから28年の月日が過ぎています。
よって、予測通りなら後2年です。
誰も思いだしたくはないと思いますが、自治会の方々までが「後30年」と
言われています。
ここ数年、日本のあちこちで震度4の地震が当たり前になってきています。
南関東域の「首都直下地震」や「南海トラフ地震」など、内閣府の防災情報ページ
を見ても、今後30年以内に発生する確率が70%とあります。
この30年以内は、あと2年以内という事でしょうか。
阪神淡路大震災のすぐあとに「今後30年以内」と頻繁に予測されていたのは、
やはり確率があるからだと思います。
震災での非難生活も、今ウクライナの人々の避難生活も同じです。
ガスも水道も電気も食料もない中での生活を余儀なくされます。
今迄当たり前にあった日常が突然無くなってしまうのです。
大震災の後、どれくらいの教訓を得て、改善して行っているのでしょうか。
テレビで見る限りではいまだに給水車の蛇口は1つで、それに行列が出来ています。
なぜ給水車の蛇口を両面に沢山付けないのでしょうか。
一度に沢山の蛇口があれば、疲れたカラダで1時間も2時間も並ぶ必要はないのです。
直ぐに給水車の水が空になれば、その分ピストン輸送でより早く人々に給水できます。
最近見た限りでは蛇口がやっと2つです。
この28年で給水車の改良は蛇口が1個から2個だけです。
「首都直下地震」も「南海トラフ地震」も阪神淡路大震災の比ではない位、
被害が大きくなる予想です。
そうであるのに、震災直後の復旧における対策はいかなるものか。
もっともっと細かく準備できることはあると思います。
震災後、神戸で生まれた歌が各地に広がっています。
人間はどんな悲しみや苦しみがあっても、幸せを求めて前に進むようです。
しあわせ運べるように(神戸)
https://www.youtube.com/watch?v=H1MM7b-ef5g
https://www.youtube.com/watch?v=H1MM7b-ef5g
しあわせ運べるように(ふるさと・東北バージョン)
私は神戸淡路大震災の2日前からお月さまの異変を感じていました。
仕事帰りで家の近くの角を曲がった途端、道路の真ん中に今迄にみたことがない、
「大きな赤い月」が目の前に現れたのです。しばらくは見とれていました。
次の日も同じ所に同じ大きさの真っ赤な月が光っていたので、何か異常を感じ、
呆然と眺めていました。
そして翌朝、1995年1月17日5時46分の地震でした。
それ以降赤い月を見ると、どこかで地震が起きるなと思ってしまいます。
そしてニュースを確認すると、日本に限らず世界各国で震度7以上クラスの地震が
起こっています。
オレンジに赤を混ぜたような色は綺麗ですが、私はあまり見たくないお月さまです。
満月の夕(歌は29:28分と、42:45分あたりです)
じゃ、また明日!