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自分の人生は産まれた時が始まりで、死に至った時が終わりだと思っています。
しかし、それは自分中心に考えた時の見え方です。
本当は始まりも無ければ終りも無いような気がします。
自分の人生の期間の中で考えても、何かを成し得たと思っても、
成し得た瞬間にそれは崩れ落ち、また一から始めるという事が起こります。
スポーツでも理想のフォームが出来たと思った瞬間、そのフォームが崩れ、
また新たな課題が出てきます。
事業にしても、何か1つの事を成し得たと思っても、それが目標であったにも拘わらず、
また新たな展開が始まっていきます。
よって、終わりは次なる出発点なのだと思います。
最終列車が翌日には始発となるように、夕日が翌日には朝日となるように、
人は何か終わった瞬間にまた新しい出発点に立ちます。
人生はその繰り返しのように思ます。
何も大きな目的、たいそうな目的など無くても、目の前の道をただひたすら歩むだけ。
ただひたすら歩んでいるだけでも、何か新しい出逢い、新しい発見があるのだと思います。
人は自分に与えられた時間の中で生まれて死んでいきます。
宇宙規模で言う所のその短い時間の中で、
どういう生き方をし、どういう死に方をするのか。
残り僅かになって来た私など、どういう死に方をするのかが、
どういう生き方をするのかになってきます。
人はこの世に現れた瞬間から、肉体を使ってこの世で生きています。
しかし、死んで肉体が消えてしまっても、人生の足跡は残っています。
その足跡をしのびながら、先人の生き方を学んで後人は生きるのだと思います。
よって、自分の足跡も誰かが見つけて引き継いでくれるかも知れません。
「道」 酒井 雄哉
人は目的があって道を歩く
それは すべて生きるためであり
死ぬまで どこかを歩かねばならない
しかし 歩かなくてもよい道が1つある
それは 人が心でつくる理の道である
人はそれぞれの生きる立場で
宿命とさだめられた道
これこそ仏がつくった その人の道である
じゃ、また明日!