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世の中には「信じていたのに、裏切られた」という事が多々あります。
何かをお願いしたり、自分からやりたいと申し出たので任せたのに、
思っていた事と違う結果になり、裏切られるというような事もあります。
人に任せると、自分が思っていた事と違う事をされると裏切られたような気になります。
それは何故かというと、任せた時点でこちらが望みを託して待ち受けてしまうからです。
ほとんどの場合、任された方は、相手の気持ちに添うように一生懸命やって、
相手の思う結果を出してくれます。
しかし、時にはそれとは裏腹に、私利私欲に走ってしまう人もいます。
そうなると本来の任された目的はすっかり忘れ、自分の感情のみで動いてしまうのです。
期待は期待された人の結果で全てが決まるようです。
よって、期待に応えれば期待した人に喜ばれるし、
期待に答えられなければ、期待した人は裏切られたとなってしまいます。
期待する人はお願いした結果を求めているのです。
今回のワールドカップでも、日本人は日本人選手に期待します。
ベスト8に入って欲しい。優勝して欲しい。と、期待します。
スポーツ選手は優勝するのが夢なので、期待が原動力となります。
しかし一般人は優勝するのが夢ではないので、こちらの思うようにはならず、
足を引っ張ったりもします。
一方「信じる」とは、相手の事柄を自分自身が認めるので、
結果については想定していません。
結果がどうあろうとも、無条件に信じているのです。
例えば子育てでも「こういう人間になって欲しい」と期待するのではなく、
「自分で考えて、自分で行動できる人間になる」と信じているのです。
期待されて「結果を求められて育つのか」
信頼されて「存在を認められて育つのか。」
この差は大きいと思います。
「信じていたのに裏切られた」は、見えていなかったその人の人間性が見えただけです。
自分が相手に期待してしまっていただけ。
よって、その人の存在が認められれば信頼すればいいし、
これ以上認められなければ、信頼に値しないと決めれば良いのだと思います。
ただし、人の足を引っ張ったり、人に迷惑をかける場合は、
道徳的に決着をつけることになると思います。
なぜなら、そこまでしないと、その人は気付くことができないからです。
本来の目的を忘れて、唯々自分の存在を認めて欲しいと思っているからです。
すべての出来事は、そこから学ぶべきことがあるという事だと思います。
お願いをする時は、その人の存在を認められる人にお願いをし、
期待はしない事です。
お願いできる相手は、期待しなくても結果を出してくれる人間ですから。
じゃ、また明日!