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人が何かを成し遂げたり生きて行く上で一番良い状態が、純粋に自分がやりたい事や
自分の内側から出てくる動機だと思います。
そうであるにも拘わらず、意外と外発的動機で行っている場合があります。
「これをやったらお金になる」とか「周りから認められる」とか「尊敬して貰える」とか。
これら外部の反応は目に見えやすいので、自分のモチベーションになりやすいのです。
しかし、これらは誰かのため、相手のためというように、相手に合わせて生きようと
しているので、すべて自分の外側中心で生きているのです。
親の為、世間のために生きていると、いつも自分の本音で生きていないので、
ある日気が付くと、しんどくなってくるのです。
いつも「私がやりたいと思う!」と本気で思っていないので、
自分が置き去りになってしまい、しんどくなってしまうのです。
周りに「凄い!」と認められた人は、「凄い!」と言って貰わないと満足しなくなるのです。
そして、それを繰り返していると「本当は自分はどうしたいのだろうか」と
わからなくなってくるのです。
例えば、最初は小説を書くのが好きで書いていたのに、人から認められ小説家になった途端、
書けなくなってしまったというのはよくある話です。
それは最初内発的動機で書き始めた小説が認められて仕事となった途端、
「書きたい小説」から「売れる小説」を書かなければならなくなって、
外発的動機になってしまったからです。
例えば、純粋に街をきれいにしたいから、空き缶を集めていたら、
いつしか空き缶20個を1000円で買い取ってくれる所が出て来た。
よって、買い取ってもらう為に空き缶を集めるようになった。
これも内発的動機が外発的動機になった瞬間です。
しかし、自分が一番楽に楽しくできるのは、自分の内部から純粋に湧き上がってくる
内発的動機付けです。
やっているうちに解らなくなってきたら、外部の反応を無視して外発的動機付けを
取り除いてみると、自分の純粋な動機に戻れるかも知れません。
自分が楽しくやれたり長期的に続くのは、やはり内発的動機付けで動いた時です。
今日たまたま「似合わない服は脱ぎ捨てろ」という文字を目にしました。
それと、今書いている「外発的動機付けを取り除く」というのが重なって見えました。
やはり自分に合っていると思う服は心地よいし、いつまでも着ていますが、
似合わない服は着ていても何か違和感があります。
外発的動機付けも似合わない服なのです。
よって、自分の心地よい服、心地よい純粋な動機付けが
自分には一番似合うと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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