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最近、SNSなどでの相変わらずの誹謗中傷に対し、裁判に訴える人が増えてきました。
誹謗中傷する人は一向に減らないし、そういう人は自分が実際に痛い目に遭わないと、
やていることがわからないのだと思います。
何か活動をやっていて、それが良い事の場合、それでも誹謗中傷する人は、
「良くない事」だと云ったり、「余計なお世話」だと云います。
それが良くなかったり、よけいなお世話の場合は、地道な作業を繰り返していない場合です。
聞いたことをただ単に「自分はこう思う」と評価しても意味はありません。
(今、これを書いていて、自分自身はこの段階だと自覚しています)
SOSを発している人を助けようとしても、可哀そうだから助けるのではなく、
発している問題は何なのか、それをどうすれば解決できるのか、解決した暁には
本人はどう感じたのか。
それを地道に考えて詰めていくのが事実だと思います。
一方的にSOSを出してきた方だけを鵜呑みにせず、その段階で事実を確認する。
客観的事実を集めて確認した段階で、やはり問題があるとわかれば、
解決の方向を探って動いていく。
これも事実の積み重ねです。
誹謗中傷する人は、この事実の表面だけを見て「善意の良い事」をしているだけと捉え、
「余計なお世話」「要らぬお節介」などという場合があります。
その事実が「余計なお世話」「要らぬお節介」かどうかは第三者が決めるものではなく、
SOSを出した本人が決めるものです。
理不尽な目に遭ったり、不条理に苦しんでいた人が解決の方向に向かって、
その理不尽さから開放されるという事実が、問題解決の結果だと思います。
学校にしろ会社にしろ、マスコミでさえも、裏取りをして事実を詰めていくという、
地道な作業をせず、上からの圧力に従ったり、忖度したり、手を抜いたりと、
それぞれの仕事の質が変わってきたと思います。
仕事の質というより、それぞれの仕事に対する自分の在り方が変わってきたように思います。
よって、顔も出さない実名も言わないSNSの世界が野放しの状態なのだと思います。
しかし、最近はそれではいけないと、今までの泣き寝入りから自分を守るため、
また、自分と同じような目に遭う人を無くす為に声を出す人が増えて来たと思います。
これは非常に良い事だと思います。
自分を生きるためには、生きれる環境を自ら作っていく必要もあると思います。
人がどう言おうと事実は事実です。
地道な事実の積み重ねは事実でしかないのです。
じゃ、また明日!