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私は以前は死ねばそれで何もかも終わりだと思っていました。
そして、あの世も死んでから行くものと思っていました。
しかし、あの世もこの世と紙一重だとか。
最近は、肉体は死んでも魂は生きているという考えを、多く目にするようになりました。
「この世にもあの世がある」という発想です。
生きているうちにあの世を「感じるか、感じないか」の違いだとか。
魂は永遠の命みたいなもので、肉体的な命は亡くなるけれど、
魂はずーっと続くようです。
よく言われているのが、今現在の自分は生まれる前から自分でストーリーを
書いていたようで、結果的にそのようになって行っているとか。
地球側の人間から考えると、死ぬという事は永遠の眠りだと思っているけれど、
宇宙側の人間から考えると、死んでその時の自分の歴史は消えるけれど、
次は誰の所に行こうかなと、また物語を書いているかも知れません。
そう思うと死というものは、それほど恐れるほどのことでもないし、
仏教でよく言われる「輪廻転生」に通じるものだと思います。
大切なのは、今現在自分という肉体に宿っている時に、どのような生き方をするのか。
はたまた、どのような死に方をするのかの方が、次の物語に繋がるような気がします。
そして、人が成長するというのは、魂を持った時だけのような気がします。
確かに人間だから生活するし、生活するから色々な関係性が出来、問題も起きます。
問題が起きるからこそ、成長のチャンスがあるのです。
問題が起きなければ考えることもしないし、解決しようと努力することもないのです。
そしてその人間関係の問題を解決する中で人は成長していけるのだと思います。
魂だけの時は「個」として存在するだけなので、他との関係性も生まれません。
魂が人間のカラダの中に入るからこそ「生老病死」を感じることが出来るのだと思います。
その時に魂を磨き、次なる生に向かって成長し続けるのだと思います。
あるメルマガで新しい言葉を教えて頂きました。
「貴老の人」(きろうのひと)
年齢と共に人間的魅力を増し、人間的成熟を深めていく人の事だとか。
その為には何事にも興味を持って、学び続けること。
私が憧れる人々は、90歳を過ぎても現役で、新しい事を絶えず考えて
活き活きしている方達です。
その方達を見ていると魂を目覚めさせ、もっともっと成長させないと
勿体ないような気がしてきました。
じゃ、また明日!