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地球の生き物は、それぞれの生物がそれぞれの感覚や身体を通して
活きている世界がある。
と言ったのは、ドイツの生物学者であり哲学者でもあるユクスキュルです。
すべての生物は自分自身が持つ知覚によってのみ、世界を理解しているので、
すべての生物にとって世界は客観的な環境ではなく、生物各々が主体的に
構築する独自の世界でもある。というものです。
人間は7割位が視覚に依存し、犬は嗅覚に依存しています。
ペットとして同居していますが、人間の世界と犬の世界は大きく異なっています。
ユクスキュルは、すべての生物は自分自身が持つ知覚によってのみ
世界を理解しているので、むしろ生物ごとに自分の近くを中心に感じるもの=主体的なもの
である、と考えたのでした。
すべての生物にとって世界は客観的な環境ではなく、生物各々が主体的に構築する
独自の世界である、と。
世界がどう見えているか、というインプットだけではなく、
世界にどう働きかけるかという、アウトプットが必要なのである、とも。
このインプットとアウトプットの連動は「わかる」と「作る」にも通じるポイントの
1つのようです。
また、自分にとって意味があるかないか、が基準になり、無いものは知覚していないと
言えるようです。
人間も生物として観れば同じですが、生まれ育った場所や受けた教育によって、
人其々にも微妙に異なる世界があるのです。
例えば、健常者と目の見えない人の場合、目の見える人が目をつぶって生活することと、
目の見えない人が生活するのとでは、それぞれの世界は当然違ってくると思います。
例えとしては合わないかも知れませんが、私が野良猫と同居しようとした時、
乳離れするまで母猫に育てられていたので、なるべく野良の生活を保ちたいと思いました。
元々クーラーが嫌だったので点けていませんでしたが、暖房は点けていました。
しかし野良猫は真冬でも外で生活していたので「私にも出来るかも」と、暖房を
入れなくなりました。
元々の家猫の場合、冬になるとこたつの中に入ったりベットに入り込んできますが、
ウチの猫はベットに入れても嫌がってすぐに出て行きます。
昨日・今日のように猛暑日は毛皮を着ているので暑いだろうと、
凍らせたペットボトルと氷そのものを器に入れて寝ているすぐそばに置きました。
するとそれも嫌がって暑い外に出て行きました。
外であっても彼女の寝ている所は風通しの良い涼しい所です。
人間の私から見れば、毛皮を着て暑いだろうと思っても、
猫からすれば冷暖房は意味のないことで関係ないから、知覚しないようです。
これは人間同士でも言えることで、自分の当たり前が、
如何に相手の当たり前と違うかという事を、
意識する必要があるという事だと思います。
意味が無いと知覚できないのであれば、
それぞれに意味を考えて知覚できるようにすれば、
人間としての幅が出来るのではないかと思いました。
じゃ、また明日!