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「やり方」と「あり方」についてはよく耳にする言葉です。
「やり方」は目に見えるスキルや方法論のことです。
よって、学んだ気になったり知識が増えた気分になり、知ってるつもりになりやすいです。
しかし、知っているからと言って、知っていることが「出来ること」にはならないのです。
野球でいうなら、バットの振り方を知っていても打てないのと同じです。
「あり方」は心構えや志のことであって、目には見えないけれども大切な
その人の生き方のようなものです。
「やり方」は教えて貰うと、ほとんどの人はその通りにやれば
技術的には出来るようになります。
しかし、マニュアルで方法論を教えて貰うようなものなので、
その意味をあまり考えることはできません。
よって、応用が利かないのです。
反対に「あり方」は心構えや志のようなものなので、
企業で言えば企業理念のようなものです。
それは具体的な仕事と繋がり、ビジョンとも繋がっていきます。
よって、ものごとの本質とも繋がって行くと思います。
「やり方」だけで仕事をしていては面白みも進歩もありません。
やはり仕事の面白みを味わうには「あり方」と結びついてこそだと思います。
「やり方」で理解が深まり、「あり方」で意味が深まる。
この両方があるからこそ、広がりが深いものになって行くのだと思います。
例えば物事を習うにしても、自分の最終目的は何処かということが非常に大切です。
私自身、今まではそれが出来るようになれば良いと思っていました。
習い事とはそういうものだと。
よって、音楽ならピアノが弾けるようなればよい。
スポーツなら、そのスポーツが出来るようになればよいと。
しかし、そうではなかったのです。
泳げなかった私が泳げるようにと、スイミングに通い出すと、
顔を付けるのも怖かったのが、ゆっくり3kmくらい泳げるようになりました。
そうなるとスイミングの面白さよりもカラダの変化の面白さに目が向いてきました。
そしてそのカラダの変化はフィットネスやヨガなどをやる時にも通じるのです。
よって、より一層カラダの面白さに魅せられていきました。
例えば木彫りにしても、仏様のカタチの木彫りは彫り方としては教えて貰えます。
文化教室などでは彫り方が身に付けば、目的を果たしたと師の所を離れていきます。
しかし、そこから彫ることの面白さがわかり、仏に魂を入れたくなります。
今度は魂が入った仏様を彫るのが目的になります。
「やり方」を身に付けるのか「在り方」を身に付けたいのかによって、
師との関係性が違ってきます。
「やり方」の場合は、そのやり方を身に付けた段階で師との関係はそこで終了です。
「あり方」の場合は、やり方を身に付けた段階からの出発で、
自分の思いや志の深さになってきます。
よって、師から学ぶ「あり方」には期限が無いのです。
「あり方」は自分の「生き方」でもあると思います。
自分はどういう生き方をしたいのか。
それを考え続けるのが、自分の「あり方」でもあると思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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