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私はあまり泣かない方なのですが、感動するとすぐに涙が出て来てしまいます。
ひどい時は音楽を聴いただけでも涙が出る時があります。
テレビのドキュメントでも、子ども・年寄・動物には涙腺が弱いです。
なぜかと考えてみると、それらの人達は懸命に生きようとしているからです。
動物の子離れの時期は特に感動します。
昨日まで母親に可愛がって貰っていた子が、今日は急に母親から牙をむかれる。
昨日まで食べ物を与えてくれていたのに、今日は食べようとすると威嚇する。
子どもは昨日までと同じように親について行こうとしますが、追い返されてしまう。
その繰り返しでやがて子どもは昨日とは違うことを悟り、諦めて親から離れるのです。
この時の親は、子どもを自立さすための本能で動いているのだと思いますが、
子離れさすための妥協を許さぬ強さには、いつも敬服させられます。
子どもは自分でエサを獲りに行くしかないのですが、
それが強いては自立への第一歩となるのです。
子離れに関しては人間より動物の方が数段上だと思います。
人間の親は動物の親のように、子どもの為にあれだけ厳しくは出来ないのです。
それでついつい甘やかしてしまい、子どもの自立を遅らせてしまうのです。
子どもは何事にも一生懸命です。
一生懸命に遊び、一生懸命食べ、一生懸命寝ます。
その無心の一生懸命さに感動するのです。
出来ないことに何度も何度も挑戦し、出来るまでやり続ける。
それが生き抜く力に繋がって行くから、感動するのだと思います。
お年寄りも、段々と出来ていたことが出来なくなる。
その出来なくなったことに対して、受け入れつつ認めつつも何とかやろうとする。
その生きる力に感動するのです。
生きていると、何度も何度も傷付くことはあると思います。
傷ついてずたずたにされる事もあるかも知れません。
しかし、そこで負けてしまわずに耐え忍びながら生き抜く強さを持っているのです。
耐えながら生き抜いていく強さを知っているのは自分です。
誰も認めてくれなくても、自分は自分を信じてその強さを認めてあげたら良いと思います。
「誰も認めてくれない」と他人に目を向けるよりは、
耐え抜く力を持っている自分に目を向けて欲しいです。
強くありたい。
生き抜く力を強く持ちたい。
手を貸してくれそうな人がどこかにいます。自分はそれをまだ知らないだけです。
よって、SOSを出し続けることが必要になってきます。
世の中にはSOSに気付かない人たちが多いです。
でも、気付ける人も必ずいます。
傷ついても立ち上がる強さ、傷つけられても生き抜く強さ。
これらの「強さ」を自分は持っていることに自分で気付いて欲しいです。
自分の強さに気付いている人は、何度倒されても起き上がります。
起き上がれる自分を知っているからです。
その起き上がろうとする姿に、私はいつも感動するのだと思います。
耐える強さ、負けない強さ、克服する強さ、守る強さ。
色々な強さを試しながら、人は生きて行くのだと思います。
じゃ、また明日!