タグ:
あらゆる人間関係には、相手に望むものがあります。
親子、兄弟姉妹、夫婦、恋人、上司部下、師弟、仲間、友達、先生と生徒、
その他あらゆる人間関係に於いて、知らず知らずのうちに、相手に何かを望んでいます。
その何かとは「愛情」だと思います。
言葉に表す愛情。
スキンシップでの愛情。
自分に関心を向けてくれる愛情。
何かを手伝ってくれるサービスの愛情。
心のこもったプレゼントの愛情。
しかし、人それぞれ感じるものは違います。
「こうすれば相手は喜ぶはず」と思っていても、必ずしもそれが当たっているとは限りません。
自分の価値観、相手に望むもの、相手の価値観、相手が自分に望むこと。
人それぞれ自分の考え方の癖や行動パターンが違うので、ピッタリ一致するのは難しいと思います。
しかし、大雑把に言えば、人は相手にそれぞれのかたちの「愛」を求めているのだと思います。
自分は相手から求められていることを、しっかりと受け止められているのだろうか。と、思います。
本日のメルマガに紹介されていた、1人の少年の文章が、改めて自分自身に刺さってきます。
「僕の声を聞いて」(西舘好子さん発行の「ららばい通信」より)
おかあさん ぶっても構わないから僕を嫌いにならないで。
おかあさん お願いだから僕の目をちゃんと見て。
おかあさん お前を生まなければよかったなんていわないで
僕は今ちゃんと生きているんだから。
おかあさん 優しくなくてもいいから、僕に触って。
おかあさん 赤ちゃんの時抱いてくれたように抱いて。
おかあさん 僕の話にうなずいてくれないかなあ。
つらい、悲しい、もうダメ、お母さんの言葉ってそれしかないの。
赤い爪魔女見たい、ゴム手袋のお台所、お部屋のあちこちにある化粧品、
僕の家のお母さんのにおい、僕の入れない世界で満ちている。
おかあさん お母さんの匂いが欲しい、優しい懐かしいにおいが。
おかあさん お願いだから手をつなごう、僕より先に歩いて行かないで。
おかあさん お願いだから一緒に歌おう、カラオケ屋じゃないよお家でだよ。
おかあさん 500円玉おいてくれるより、おにぎり1個の方がうれしいのに。
おかあさん 笑わなくなったね、僕一日何度おかあさんが笑うかノートにつけているの
昔のお母さんは常に自分の後ろにいてくれたと思います。
何か失敗しても、何かにいじけても、そのままの自分を受け入れてくれた記憶があります。
お母さんという後ろ盾を感じるから、安心して前に進めたのです。
食べものでも、洋服でも、お母さんは自分の分を我慢してでも、子ども優先にしてくれました。
その姿が良いとか悪いとかではなく、
そういう姿勢、生き方が愛情として自分の中で育まれてきました。
子どもに必要なのは愛情です。
この少年が書いてあるように、500円玉よりお母さんが握ってくれたおにぎり1個なのです。
忙しすぎるお母さんがおにぎりを作る時間が本当にないのなら、
それを満たすだけの言葉を500円玉に沿えて書いていますか?
子どもはお手紙が大好きです。
なぜなら、お手紙を通じてお母さんと話せるからです。
もしかしたら、お母さん自身もそのお母さんから愛情を受け取ってないかも知れません。
わからなければ、本でもビデオでも、野良猫の子育てからでも愛情の注ぎ方は学べます。
子どもに限らず大人さえも、人間関係に於いて相手に愛情を求めていると思います。
なぜなら愛は勇気やエネルギーを与えてくれるからです。
上記文章は少年が書いたものです。
しかし、大人よりも人間学を学んでいると思います。
じゃ、また明日!