タグ:
これからの社会は「答えのない問題」の方が当たり前になってきます。
教養は「教わるもの」ではなく、自ら「獲得するもの」だと思います。
今までのスキルはビジネススキルで、目的がはっきりしています。
情報化社会になって「知りたいことを調べる」には、
SNSで検索すれば知りたい情報は誰でも手に入るようになってきました。
よって、これは「教養」とは言えません。
また「出来ないことが出来るようになる」のも、技術の習得であって、
教養とは言いません。
なぜなら、それらは技術や情報の習得であって、教養とは言わないのです。
習得は、誰か先人が先に出来るようになったり、調べたものを教えて貰うことになります。
よって、自分が生み出したものではありません。
一方「学ぶ」ということは、自分なりの答え、生き方を見つけだすことです。
「答えのない問題」にぶつかった時に、
それに立ち向かって自分なりの生き方を見つけだす。
この見つけだせるかどうかが「教養」のある人とない人の違いだと思います。
古典というものは、今までの人々が良いと思うものを引き継いでいます。
よって、年月が経っても現在に生きているのです。
音楽や絵画などの芸術関係や、本や映画にしても、脈々と引き継がれているのは、
そこには「古くて新しいもの」があるからです。
それが「答えのない問題」にぶつかった時に、自分の頭の中で繋がり、
自分なりの解決に辿りつくのです。
よって「教養」とは自分の中で生産するものだと思います。
より多くの教養を身に付けることによって、多角的な判断が出来、
正しい選択が出来るのだと思います。
ビジネススキルとポータブルスキル。
このポータブルスキルに「教養」と言うものが含まれていると思います。
リーダーたる人、特に国のトップに立つ人は教養を身に付けていないと、
とり返しのつかない間違った判断をしてしまいます。
ロシアのプーチンさんは柔道八段だとか。
八段だからと言って「柔道の真髄」を学んでいた訳ではなかったようです。
ただの愛好家のスキルでしかなかったのだと思います。
今回のウクライナへの軍事侵攻に始まり、原発攻撃まで、
人間としてのコントロールを失ってしまっているようです。
プーチンさんは第二次世界大戦終結から7年経ってから生まれています。
戦争を知らないで育っているはずなのに、なぜ「平和」を保つことをせずに、
「戦争」と言う人の命を奪うことをするのか、理解できません。
我々もそうですが、特に「人々の幸せ」を生産できる人がトップになるべきです。
連日、犠牲者が増えています。
私はこのblogを書き始めた日から、無意識に「じゃ、また明日!」と書いていました。
当たり前の「明日!」が、ウクライナの人々にとっては「明日」が保障されていません。
ロシア兵にしても然りです。
プーチンさんは数多くの命を奪った責任をどのように取る覚悟があるのでしようか。
聞いてみたいものです。
明日が来ることを願って
じゃ、また明日!  ☮ NO WAR! 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

投稿者

jibunoikiru@gmail.com

関連投稿

タグ:

2280枚目■ 行動と言葉を一致させる

「言行一致」とよく言います。口で言っている事...

すべて読む
タグ:

2274枚目■ 「無理」「ならどうする」

何かをやろうとする時、或いはやりたいと思う時...

すべて読む
タグ:

2235枚目■ 何を捨て何を残すか

私は昔から「マイナスの美」の美しさが好きでし...

すべて読む
タグ:

2233枚目■ 自分が自分をどう思うか 

私たちは人目を気にして生きている場合がありま...

すべて読む
タグ:

2232枚目■ 目的の為なら共にやれる

今回のNHK「新プロジェクトX」は、世界遺産...

すべて読む
タグ:

2231枚目■ 共に目標を達成する能力 

人が他人と協力し共同の目標を達成する能力は、...

すべて読む