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人には2つのタイプがあると思います。
楽しい方に意識を向ける人と、苦しい・つまらない方に意識を向ける人と。
同じ現象を見ても反応の仕方、意識の向け方が違うのです。
母が長期入院していた時も、ご本人やご家族の方の捉え方の違いがありました。
そしてそれは、亡くなり方にも繋がっているのを感じました。
私は土・日の仕事のない日は出来るだけ母の介護をしたくて1日中病院に行っていました。
特に土・日は看護師さんの人数が足らないので、完全看護の病院でしたが、
食事の世話やカラダの清拭、下の世話をやらせて貰いました。
午前中時間をかけてゆっくりと、清拭や足湯をしたり車いすで散歩をしたり。
その時間が私と母にとっては幸せな時間でした。
お隣のベットでは、奇麗な衣装をまとった姉妹の方が時々来られていました。
看護師さんがオムツを替える頃になるとスッと病室を出て行き、
すべて終わる頃になると帰ってきます。
そしていつも看護師さんに文句を言っていました。
時々しか来ない姉妹は、退院したらどちらが母親を引き取るかでいつも喧嘩をしていました。
それを見るたびに、お金があってもこのお母さまや姉妹は幸せでは無いなと、感じていました。
なぜなら同室にいる間、この3人の笑顔を一度も見たことがないからです。
「意識の密度は、現象の密度である」と言うのは、まさしく各病室の現象でした。
法話の中に、
「喜べば 喜びごとが 喜んで 喜び集めて 喜びに来る」と言うのがあります。
同じ言い回しで、
「悲しめば 悲しみごとが 悲しんで 悲しみ集めて 悲しみに来る」
「憎しめば 憎しみごとが 憎しんで 憎しみ集めて 憎しみに来る」
とも読めたりします。
自分が目の前の事をどう受け止めるかにより、
幸せにも不幸にもなって行くようです。
「幸せは自分でつくるものだ」とも聞きますし、
自分の意識をどこに向けるかによって、人生は変わるもののようです。
同じような状況の中でも、結果が全く反対になるのを目にするたびに、
「自分の人生は自分が決める」と言うのを、感じさせられます。
どうせなら、
「喜べば 喜びごとが 喜んで 喜び集めて 喜びに来る」
人生を送りたいものです。
じゃ、また明日!