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世間で言われている「無償の愛」とは、「対価を支払わない」とか
「見返りを求めない」愛の事です。
確かに一方通行の愛だと思います。
何かをしたからと言って、対価や見返りは一切望んではいません。
しかし、私のような凡人が人さまに無償の愛で接しようとした時には、
もう少し自分の中ではっきりとしたものを持っておかないと、
本物にはならないと思います。
例えば、私は小さい頃から世話焼きだったと思います。
大人になれば、それが人の心に入り込みすぎ、嫌がられるのですが、
それを良い方向に活かせないかと思った時、
無償の愛に向けられないかと思いました。
若い時に路上生活者の人と文通をしていました。
その人は詩人であり、作家の人でした。
その人の詩集を読み、良いなと思ったので出版社から辿って行きました。
当然、住所など無いのですが、出版社の方が書店の人を通じて、私の手紙を渡して下さり、
そこから文通が始まりました。私の親と同じ年齢の方でした。
なぜ詩集や本を出される方が路上生活をしているのか、興味があったのですが、
それは手紙や断片的に詩集の中で書かれていることなどからわかりました。
その方の詩や文章からは、無償の愛が感じられました。
「誰のために」「何のために」「なぜそうしているのか」という
目的がはっきりとしていたのです。
晩年は借家住まいでしたが、自分の信念を持たれていた方でした。
世間に対する怒りのエネルギーが執筆活動になり、
仲間への無償の愛へとなって行ったのだと思います。
無償の愛は、人に愛を与える事によって、
結局は自分もそれ以上の愛を受け取っているのだと思います。
ただ闇雲に一方的に愛を与えるのでは無く、
自分ができる自分なりの愛の伝え方を考える必要があると思います。
思い返せば、私自身ずーっと周りの方から愛情を注いでもらっていました。
今度は私がお返しをする番です。
見返りも何も必要なく、ただ私がやりたいからやるだけの事です。
ただそれだけの事です。
そうとなれば、誰のために、何のためにやるのか、自分の中で整理しなくちゃ。
じゃ、また明日!