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「出逢い」については、
「運命だ」とか「ご縁があったから」とか「袖振り合うも他生の縁」などと言われています。
私は今迄「偶然」だと思っていました。
しかし、最近はその偶然も必然であったのかなと思うようになりました。
何故なら、その偶然と思っていた事からの展開を振り返った時、
偶然では片付けられないものがあるような気がしてきました。
「あの偶然がなかったら、今の自分はない」とか「あの出逢いがなければ人生は違っていた」など、
後から考えると、それは偶然というよりは、最初からそうなるように仕組まれていたような気がします。
私も習い事や何か教えて頂くことになるキッカケは、偶然のようなものでした。
たまたま、お寺に迷い込んだ時に声をかけられ、俳句を教えて貰うことになった。とか、
何か手を使うものをやりたいなと思った次の日に、
入門することになった能面師が新聞に掲載されていた。とか、
集中力を付けたいから座禅でもしたいなと思た時に、
「JAPAN元氣塾 無料瞑想体験会」をSNSで目にした、とか。
これらすべては、自分が思った時にすべて向こうからやって来たような気がします。
よって偶然ではなく、必然的にそれらを学ぶために、
元々決まっていたのではないかとさえ思ってしまいます。
もしも決まっているのであれば、自分の人生に抵抗することなく、
素直に委ねるのも1つの生き方なのではないかなと思います。
起こった事、起こる事はそのままの流れに委ねて、ありのままを受け入れてみる。
そう考えると、少し楽になって来ました。
「抵抗」するから自分の中で摩擦が起こり、無駄なエネルギーを消耗してしまうのです。
今東光さんの「人生は 冥土(めいど)までの 暇つぶし」
と思えば、肩肘を張ることなく、自分がやりたいように楽しんで暇つぶしをすればいいんだ。
と、思うようになってきました。
人と人との出逢いも、何か目的があって出逢っているかもしれません。
最初はその目的など、わかるはずもありません。
しかし、後になってよくよく考えれば、それらは繋がっているように見えてきますし、
繋がっていることもあります。
そうなると益々、人と人との出逢いは何か目的があって出逢っているように感じます。
一度切りの人生、悔いることなく力を抜いて、しあわせを感じつつ生きたいものです。
じゃ、また明日!