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人は、先が見えていたら安心して進むけれど、先が見えていなければ不安が募ります。
しかし、その時、一歩住みだすか、留まるかですでに第一段階の選択がされているのです。
それが人生の大きな分かれ道であったなら、その時の選択は全く逆の方向に行ってしまいます。
よって、自分がどの方向に行くかは、自分の生き方に従って選択すればよいと思います。
例えば、何にでも否定する人がいます。
否定する根拠も何もなく、ただマイナスのイメージで否定してしまうのです。
確かに、石橋を叩いて慎重に進むのは良い事です。
しかし、根拠もなく叩くだけなら、自分の足元を壊しているのと同じです。
最後は自分もろとも崩れ去って、そこから一生動けなくなるのです。
反対に肯定する人がいます。
肯定の根拠もありません。
しかし、目の前に現れたことを信じてみようと言う気持ちが根拠です。
信じてみたのは自分だから、思っていたのと違っても、
自分の選択が間違ったと気が付けば良いのです。
最低限、気が付いて引き返すまでの景色は、自分にとっては新しい景色です。
新しい景色が新しい刺激をもたらしてくれます。
肯定するという選択が間違っていなかったら、自分の方向性は正しかったし、
見えていなかった目的が見えてくる可能性があります。
最初の時の選択、最初の時に信じるか信じないか。
これは大きな分岐点となります。
この「信じる」は相手を信じることでもあるし、
その判断をする自分自身を信じることでもあります。
否定ばかりしている人は、自分自身も信じられていない状態なのだと思います。
よって、世間のマイナスイメージに同調する形で否定してしまうのだと思います。
否定する人と肯定する人は普段からの幸せ度も違っていると思います。
否定する人は、心底笑ったり、楽しそうにしている顔をあまり見ることが出来ません。
しかし、肯定する人は、いつも笑顔で楽しそうにしています。
だから余計に羨ましがられるのです。
先が見えないのは、誰しも不安です。
しかし、その不安に対して、自分が進むべき方向を決めるのは、
自分の進化・成長にも繋がると思います。
よって、勇気を出して見えない先にも進んでみることも必要かなと思います
じゃ、また明日!