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言葉は相手に伝わる時と伝わらない時があります。
演説や討論会でも原稿を読みながら話すのと、原稿を見ないで身振り手振りで話すのとは、
相手への伝わり方が全く違います。
頭で考えていることが言葉になると言われますが、やはりそのようで
「市民の皆様の意見に耳を傾けます」と言いつつも、傾けてない場合があります。
最近youtubeで、いじめで自殺した子供の支援団体・保護者・youtuberなどが、
県の教育委員会や市の教育委員会に要望書を手渡しに行かれているのを
見かけるようになりました。
対応した職員は無言で聴いているだけの場合か、
さも、市民の皆様のご意見をお聞きしています。と相槌を打っているものの、
最後に「解決の方向に持って行ってくれるのですね!」と念を押すと、
「しっかり受けたまわりました」
「しかし、当方はお聞きするのであって、解決するところではないので・・・」
と、ご丁寧に念を押されています。
では、どこが解決する所なのか。
教育委員会の仕事は、文部科学省【教育委員会制度の意義】③地域住民の意向の反映 に、
◎教育は、地域住民にとって身近で関心の高い行政分野であり、専門家のみが担うのではなく、
広く地域住民の意向を踏まえて行われることが必要。
とあります。
地域住民が、「いじめはなかった」ではなく、ちゃんと調査して欲しい。
いじめをなくして欲しい。と、切実に訴えているにも拘わらず
「話は聞きました」では、文部科学省が地方教育行政で示している
「広く地域住民の意向を踏まえて行われることが必要」という事がなされていないという事です。
言葉を文字として捉え、言霊として捉えることが出来ないのです。
「望ましい」ではなく「必要」とはっきり書かれてあるにも拘わらずです。
これを見ていて、教育委員会は必要ないと思いました。
もしも必要があるなら、人間よりAIの方がきっちりと機能を果たすと思います。
いじめデータを打ち込めば、状況・対処・いじめられた側の状況など全て残るので、
遡っての再調査もスムーズにいくと思います。
AIならデータさえあれば、客観的に分析し、今後の役にも立つと思います。
我々は何かを伝える時「感情が入らないと記憶に残らない」と、言われます。
その感情は、伝えたい想いから湧き上がってくるものです。
お役所や教育委員会は感情が入ってはいけない所なのでしょう。
感情が入った職員は苦しみ、自殺にまで追い込まれます。
それが今の現状です。
そういう人達は「人間」を無くしてしまっているか、
捨ててしまわないと生きて行けない環境だと思います。
いじめ問題を扱う部署が、いじめの構造と同じになっているような気がします。
よって、お役所はAIに任せた方が良いのかなと、真剣に思った次第です。
私は感情を込めて、想いを込めて話せる人間でありたいと思います。
じゃ、また明日!