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人は辛い時や落ち込んだ時、絶望している時は、ただ話を聴いてくれるだけで安心できます。
横にいてくれるだけで嬉しいのです。
そういう時は1人で耐えるのと、誰かと共に乗り越えるのとでは心の負担がまったく違います。
よく、アドバイスをしたり励ましてくれる人がいますが、そういう時はほとんど耳に入っていません。
なぜなら、そういう時は自信もなく、自分を責めている時だからです。
そのような時に、たった1人でも良いから横でじっと耳を傾けてくれるだけで、安心するのです。
絶望の淵から這い上がるのは自分です。
しかし、真っ暗な穴からたった1人で這い上がるのと、
自分が這い上がっている姿を見守ってくれている人がいるのとでは、
自分の気持ちがまったく違います。
このような時は、答えを求めているのではなく、
今の苦しさを誰かに認めて欲しかっただけなのです。
ただ横にいて話を聴いて、認めて欲しいだけなのです。
そういう人が1人でもいれば、絶望の底まで行かなくても、
何とか這い上がることが出来ます。
信頼関係の築けた、ただ横にいるだけで安心できる心友と出逢えることは、
自分自身を救うことに繋がると思います。
その時の自分を、その時の気持ちを素直に受け入れてくれるだけで、心は軽くなるのです。
心が少しでも軽くなれば、もう無理をせず、気負わず、自分自身を認めることもできるのです。
人が本当に絶望している時に望むのは、アドバイスでもなく正論でもなく、
「一緒に泣いて落ち込んで、そして一緒に喜んでくれる人」の存在なのかも知れません。
「答えは問にある」と言われることがあります。
問を口にした時点で、答えはその人の中にあるのです。
人に相談しようと思った時点で、ほぼその人の中では解決策があるのです。
ただそのあと一押しが欲しくて問うのです。
だから答えを示さなくても、ただ横にいて一生懸命耳を傾けるだけでいいのです。
仏教語で「慈悲」という言葉があります。
『慈』は、積極的に何かをしてあげるという意味。寄付やボランティアなど。
『悲』は、自分には何も出来ないけれど、悲しみに打ちひしがれながらでも、
その人を想うという意味です。
どちらも尊く大事な事です。
話を聴いてあげられる人、
一緒に落ち込める人、
ただただ、その人の心に寄り添うことができる人。
そういう人に私はなりたい!
じゃ、また明日!