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私達は良く「ご縁」という言葉を耳にします。
「袖振り合うも多生の縁」とか言われるように、
知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとした事でも、
前世からの深い因縁があると言われています。
自分では気付いていないけれど、やはりご縁のある人はいるのかも知れません。
初対面であったとしても、以前からの知り合いのように抵抗なく溶け込める人。
いくら、肩書や家柄が良くても、全く何も感じない人。
何をもって感じる人か、感じない人かわかりません。
しかし、ご縁のある人には繋がって行くようになっているのだと思います。
たった1通の手紙でも、ずーっと心に引っ掛かっているメールがあります。
その時は書いている内容がよく理解できませんでした。
なんとなく、もやーっとして霧に包まれたような感じで。
しかし、霧が晴れたらきれいな景色が見えるだろうとは、
根拠が無くても確信がありました。
時が経ち、少しづつ少しづつ霧が晴れてくると、
やはりそこには思っていた景色が見え隠れし始めました。
霧は其々の役割を隠していたのだと思います。
仏教の教えでいう所の「ご縁」は「因縁生起」(いんねんせいき)という言葉から来ており、
私達に起こる全ての出来事には原因があり、縁が絡んでいるというものです。
確かに小さなことでも、何かを始めようとした時、
必ずそれに関連したことが目に付いたり、起こったりしています。
偶然の重なりかも知れませんが、偶然の重なりにすれば重なり過ぎると思っていました。
私達の出逢いには、何らかの理由があるようで「ご縁があってお会いした」というのは、
「何かわけがあってお逢いした」事になります。
そのわけは何なのだろうと思った時、それが人生の繋がりなのではないかと思いました。
それぞれが持つ自分の使命。
その使命が繋がった時、結局は1つの方向に動いていくのだと思います。
最終的には「ご縁」の強いものが結ばれると言われています。
それは人生の目的を共有できる強さかも知れません。
或いは、純粋意識のレベルの高さかも知れません。
何れにせよ、折角頂いたご縁なら大切に繋がっていき、
人生のゴールへと向かいたいものだと思います。
じゃ、また明日!