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人は今の自分で良いのかなと思ってしまう時があります。
もっと成長した自分でなければとか、もっと向上心を持たなければとか思う時と、
こんなにストレスが無くても良いのかなと思ってしまう時があるようです。
今も、いつもいつも忙しく人生を送ってこられたご近所の方とお話をしていました。
子育て、孫育ても終わり、ご主人も無くなられたので今は娘さんとお二人です。
本来なら、娘さんとゆっくりのんびり生活をされるだろうし、
それでいいと思っていましたが、ご本人は違いました。
こんなにのんびりした生活をしていてもいいのだろうか?と、
何か罪悪感を感じているようでした。
昔は女性がのんびりしていると、何か罪悪感を感じさせるものがありました。
女はこうでなければならない。男はこうでなければならない。
それって、誰がいつ決めたのでしょうね!
今でいう所の、見えない同調圧力でしょうか。
そういう私も仕事を辞めた時は、平日の日中に街中を歩いていると、
自分で「こんな時間に街中を歩いていてもいいのだろうか」と、
罪悪感が5年ほど続きました。
自分が街中を歩くのに、どうして人の目を気にしていたのかわかりません。
今はそれが解ります。
その時の自分は、自分で自分の人生を歩んでいなかったからです。
人目や世間の目を気にして、その世間の価値観とやらで自分を縛っていたのです。
今思えば、世間の価値観ほど正体のないものはありません。
ましてや最近は世間の価値観はすぐに変わってしまいます。
そういうものに囚われている自分が段々とバカらしくなってきて、
自分が生きる価値観は自分が決めるものだと思うようになってきました。
自分の人生は自分がその都度選択して決めているはずです。
その時に自分の心に素直に従って決めているか、世間の価値観に従って決めているかで、
人生の充実度が違ってくるように思います。
世間の価値観に捉われていたり、気にしていた時の自分は、
自分自身を生きていなかったと思います。
自分の人生は自分しか生きることが出来ません。
他人がとやかく言っても、それは外野席の声にしかならないのです。
なぜなら、その人が私の人生を生きれる訳が無いからです。
自分がもう一人の自分に「これで良いのか?」と問うのはいいと思います。
そこには進歩、発展があるからです。
しかし、他人の目が自分に「これで良いのか?」と問うのは、意味が無いと思います。
自分の心に素直になって、好きな人と好きなことをする。
人間関係でも好きな人と好きな仕事をする。
これで良いのかと思う自分がいたら、
「それでいいのだ!」と、言ってやりたい。
じゃ、また明日!