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人生の中で、別段目に見える形で変わった訳ではないけれど、
何か自分の内側で風の向きが変わりつつあるような気がする時があります。
自分はこっちの道に進みたいのだと主張し始めたり、
今までの人間関係がそれによって薄れても構わないと思ってみたり。
今までは、それが怖くて見て見ぬふりをしていたかも知れません。
でも、我が道を行くという考えが頭をもたげてきたのです。
階段を一段上がるためには、後ろ足を階段から浮かす必要があります。
浮くからその足は前に行って次の階段を踏めるのです。
浮かすときは躊躇します。
浮かしても大丈夫だろうかと迷います。
しかし、何かに別れを告げたり、終わりにしないと次との関わりは生まれてきません。
思い切って自分から後ろ足を蹴り上げると、その反動で自然と前に足は出るのです。
世の中が今、時代を変えようとしている時、
自分もこの時だからこそ、変える必要があると思います。
変える必要があるというより、変えるチャンスだと思います。
この時だからこそです。
人は生まれてくる前に、自分の人生の青写真を描いて生まれてくると、
チラホラ聞くようになりました。
自分はどんな青写真を描いて生まれて来たのだろうと、自分に興味が湧いてきます。
楽しい結婚生活を描いて生まれて来た人もいれば、
仕事に生きがいを感じて働いている姿を描いている人もいるでしょう。
自分の人生を束縛しない、束縛されない人生を描いて生まれて来た人もいるでしょう。
同じ場所に立ちすくんでいるのを描いて生まれて来た人はいないと思います。
そう思えば、自分がまだ知らない自分の青写真の先が見たくなりました。
自分はここから先、どのような青写真を描いていたのだろうかと。
誰よりも自分が興味があることです。
自分の考えが変わってくると、大切にしたい人も変わってきます。
良好な人間関係は決して人数ではありません。
その人との関係性の質だと思います。
しかし、これもどれが正解ではなく量で満たされる人もいれば、質で満たされる人もいます。
答えは人それぞれです。
これからは同じ方向、同じ質を求めている人と繋がりたいと思います。
風が変わったこの時だからこそ、そう感じるのかも知れません。
もしかしたら、そこで新しい自分に出会える可能性があるのかも知れません。
「死ぬときは、自分と同じ価値観の人に囲まれていた」
そういう青写真を描いて、私は生まれて来たのかも知れません。
じゃ、また明日!