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「恐怖とはそのほとんどの部分が私達の脳内で形成される幻想だ」と言われています。
よって、恐怖とは、過去の経験や知識や信念の不足によって生まれてくるようです。
恐怖は本能であり、危険を感じた時に起こり得る身体反応です。
よって、恐怖の大小は、自分の心理状態に左右されるものなのです。
そうだとわかれば、必要以上に怖がることはなく、恐怖にさらされる経験を積む方が、
自分にとっては重要だと思います。
私はいつもやる前から恐怖を感じてしまい、乏しい経験の中から結論づけてしまいます。
そして、やるということよりもやらないという事をいつも選択してしまいます。
しかし「案ずるより産むが易し」のごとく、やってみれば、思ったほどでは無かったり、
自分が簡単にやれたりするものなのです。
そうであるならば、その程度の経験をどんどん積み重ねれば、
恐怖を克服できるような気がしてきました。
なぜなら、経験することによって、より深い自分を知ることができるからです。
私の知り合いの中にも、恐怖を感じる時ほど笑顔でいたり、ユーモアを用いたりして、
恐怖などどこ吹く風というような顔をしている人もいます。
しかし、内心は恐怖におびえているのです。
もう1つ大切な事は、何か目標を持ってやる事です。
目標があれば、それを達成するまでは集中して取り組んでいます。
集中している間は、恐怖を忘れることが出来ます。
小さな子供は、怖いもの知らずです。
何でも好奇心の赴くままに行動します。
その都度興味と引き換えに、こけたり打ったり、熱かったりで、
時には泣きながら1つ1つ身に付けて行くのです。
子どもは「出来る/出来ない」を考えて行動してはいません。
むしろ、本能のままに未知なるものへ挑戦していきます。
自分の中にもかつては未知のものに対する興味を持っていたはずです。
しかし、大きくなるにつれ、なまじ知識を得てからは防御が働いたり、
困難を避けたりし始めるのです。
子どもの時のように無邪気に興味のままに動くことが出来なくなってしまったのです。
本当は未知の事を知るという事は、不安や恐怖もあるけれど、面白い事や楽しい事もあるのです。
新しいものに遭遇した時に感じる驚き。
それは決してマイナスな面ばかりではありません。
むしろ、自分の世界が広がる時でもあるのです。
自分の世界が広がることによって、今まで見えていなかった自分の無意識の世界、
無意識より深い純粋意識の世界。
それを知ることによって、自分を変える大きなエネルギーを得ることができるのです。
一瞬の不安や恐怖より、新しい事の経験による楽しさや興味。
これは自分の中で半々に持っているものだと思います。
そのどちらを発揮させるのかは、自分自身です。
自分にとって未知なるものは恐怖なのか成長なのか。
人生のなかで遭遇する選択だと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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