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私は冒険心が無いので、先が見えないものには非常に不安を感じます。
多分過保護に育ったから、安全ですよ!という所しか通ってこなかったのだと思います。
そして、それに依存しすぎたので、初めての所や安全が確保されていない所は避けようとします。
よって、不安になり過ぎて余計な事を考え、ムダなエネルギーを使ってしまうのです。
自分で書きながら、今「あっ!」と思ったのですが、
余計な事って、ダメな事なのかな?と。
「余計」って言葉を変えてみれば、まんざら悪くないような気がしてきました。
例えば「先の事を考える」「危機管理を考える」「物事を敏感に捉える」など、
こう考えれば、デメリットだと思っていた「不安」がメリットに見えてきました。
オリンピックにしろ、コロナにしろ、不安があるからこそ、
最悪の事を考えて色々手を打とうとしているし、
最悪の時に備えて、準備ていることもあります。
という事は、不安は「よくないもの」ではなく、
むしろあった方が良いような気にさえなって来ました。
何かを成し遂げようとしている人にも、不安はあると思います。
この道を進んで良いのだろうか?
約束は守れるのだろうか?
それは本当に人さまの役にたつのだろうか?
様々な不安があり葛藤があるからこそ、そこでより一層考えることが出来るのだと思います。
そう思えば、自分の不安も何だか愛おしくなってきて、
自分の中で不安の居場所を確保してあげたい気持ちになりました。
そして、不安になれば成る程、先の事を心配して考えているんだなと、
「不安になっている自分」を認めることができるようになりました。
不安があるから気付けることもあるし、不安があるから修正していくことも出来るのです。
そして、そのように変化して行っているのは、成長している証拠だと思います。
結局は生きている限り、自分の中の不安は完全になくなることはないと思います。
むしろ、不安があるから気付けたり、危機管理をしたり、自己内葛藤をして確認してみたり。
心配以上のものを、自分に持たらしてくれるような気がしてきました。
逆に不安のない人生は想像がつきません。
不安には不安のそれなりの意味、意義があるのだと思うと、
時には不安も必要だと思うようになってきました。
自分の中から排除しようとしていたけれど、
むしろ仲良くなって席を確保したい気持ちになって来ました。
じゃ、また明日!